FFアイコンドラマ


来てくれたみんなでFFドラマを作ろう!!



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執筆ありがとう!
これまでのストーリーをご覧ください。
今後、どうなっていくのか楽しみですね。


12/01(Fri) 17:52:09 ???「ボ」

12/01(Fri) 17:52:23 ???「コ」

12/01(Fri) 17:52:57 ???「スッカ」

12/01(Fri) 17:53:13 ???「 う」

12/01(Fri) 17:53:41 ???「ん」

12/01(Fri) 17:53:56 ???「こ」

12/01(Fri) 17:54:25 ???「して速水瀬奈」

12/03(Sun) 20:38:37 ???「 よだかは、実にみにくい鳥です。 顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。 足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合でした。 たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、夕方など、よだかにあうと、さもさもいやそうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方へ向けるのでした。もっとちいさなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっこうから悪口をしました。 「ヘン。又出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」 「ね、まあ、あのくちのおおきいことさ。きっと、かえるの親類か何かなんだよ。」 こんな調子です。おお、よだかでないただのたかならば、こんな生はんかのちいさい鳥は、もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるえて、顔色を変えて、からだをちぢめて、木の葉のかげにでもかくれたでしょう。ところが夜だかは、ほんとうは鷹の兄弟でも親類でもありませんでした。かえって、よだかは、あの美しいかわせみや、鳥の中の宝石のような蜂すずめの兄さんでした。蜂すずめは花の蜜をたべ、かわせみはお魚を食べ、夜だかは羽虫をとってたべるのでした。それによだかには、するどい爪もするどいくちばしもありませんでしたから、どんなに弱い鳥でも、よだかをこわがる筈はなかったのです。 それなら、たかという名のついたことは不思議なようですが、これは、一つはよだかのはねが無暗に強くて、風を切って翔けるときなどは、まるで鷹のように見えたことと、も一つはなきごえがするどくて、やはりどこか鷹に似ていた為です。もちろん、鷹は、これをひじょうに気にかけて、いやがっていました。それですから、よだかの顔さえ見ると、肩をいからせて、早く名前をあらためろ、名前をあらためろと、いうのでした。 ある夕方、とうとう、鷹がよだかのうちへやって参りました。 「おい。居るかい。まだお前は名前をかえないのか。ずいぶんお前も恥知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。たとえばおれは、青いそらをどこまででも飛んで行く。おまえは、曇ってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出て来ない。それから、おれのくちばしやつめを見ろ。そして、よくお前のとくらべて見るがいい。」 「鷹さん。それはあんまり無理です。私の名前は私が勝手につけたのではありません。神さまから下さったのです。」 「いいや。おれの名なら、神さまから貰ったのだと云ってもよかろうが、お前のは、云わば、おれと夜と、両方から借りてあるんだ。さあ返せ。」 「鷹さん。それは無理です。」 「無理じゃない。おれがいい名を教えてやろう。市蔵というんだ。市蔵とな。いい名だろう。そこで、名前を変えるには、改名の披露というものをしないといけない。いいか。それはな、首へ市蔵と書いたふだをぶらさげて、私は以来市蔵と申しますと、口上を云って、みんなの所をおじぎしてまわるのだ。」 「そんなことはとても出来ません。」 「いいや。出来る。そうしろ。もしあさっての朝までに、お前がそうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。つかみ殺してしまうから、そう思え。おれはあさっての朝早く、鳥のうちを一軒ずつまわって、お前が来たかどうかを聞いてあるく。一軒でも来なかったという家があったら、もう貴様もその時がおしまいだぞ。」 「だってそれはあんまり無理じゃありませんか。そんなことをする位なら、私はもう死んだ方がましです。今すぐ殺して下さい。」 「まあ、よく、あとで考えてごらん。市蔵なんてそんなにわるい名じゃないよ。」鷹は大きなはねを一杯にひろげて、自分の巣の方へ飛んで帰って行きました。 よだかは、じっと目をつぶって考えました。 (一たい僕は、なぜこうみんなにいやがられるのだろう。僕の顔は、味噌をつけたようで、口は裂けてるからなあ。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。赤ん坊のめじろが巣から落ちていたときは、助けて巣へ連れて行ってやった。そしたらめじろは、赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかえすように僕からひきはなしたんだなあ。それからひどく僕を笑ったっけ。それにああ、今度は市蔵だなんて、首へふだをかけるなんて、つらいはなしだなあ。) あたりは、もううすくらくなっていました。夜だかは巣から飛び出しました。雲が意地悪く光って、低くたれています。夜だかはまるで雲とすれすれになって、音なく空を飛びまわりました。 それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹も幾匹もその咽喉にはいりました。 からだがつちにつくかつかないうちに、よだかはひらりとまたそらへはねあがりました。もう雲は鼠色になり、向うの山には山焼けの火がまっ赤です。 夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋の甲虫が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。 雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいようです。よだかはむねがつかえたように思いながら、又そらへのぼりました。 また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。 (ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。) 山焼けの火は、だんだん水のように流れてひろがり、雲も赤く燃えているようです。 よだかはまっすぐに、弟の川せみの所へ飛んで行きました。きれいな川せみも、丁度起きて遠くの山火事を見ていた所でした。そしてよだかの降りて来たのを見て云いました。 「兄さん。今晩は。何か急のご用ですか。」 「いいや、僕は今度遠い所へ行くからね、その前一寸お前に遭いに来たよ。」 「兄さん。行っちゃいけませんよ。蜂雀もあんな遠くにいるんですし、僕ひとりぼっちになってしまうじゃありませんか。」 「それはね。どうも仕方ないのだ。もう今日は何も云わないで呉れ。そしてお前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚を取ったりしないようにして呉れ。ね、さよなら。」 「兄さん。どうしたんです。まあもう一寸お待ちなさい。」 「いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすずめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあわないよ。さよなら。」 よだかは泣きながら自分のお家へ帰って参りました。みじかい夏の夜はもうあけかかっていました。 羊歯の葉は、よあけの霧を吸って、青くつめたくゆれました。よだかは高くきしきしきしと鳴きました。そして巣の中をきちんとかたづけ、きれいにからだ中のはねや毛をそろえて、また巣から飛び出しました。 霧がはれて、お日さまが丁度東からのぼりました。夜だかはぐらぐらするほどまぶしいのをこらえて、矢のように、そっちへ飛んで行きました。 「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」 行っても行っても、お日さまは近くなりませんでした。かえってだんだん小さく遠くなりながらお日さまが云いました。 「お前はよだかだな。なるほど、ずいぶんつらかろう。今度そらを飛んで、星にそうたのんでごらん。お前はひるの鳥ではないのだからな。」 夜だかはおじぎを一つしたと思いましたが、急にぐらぐらしてとうとう野原の草の上に落ちてしまいました。そしてまるで夢を見ているようでした。からだがずうっと赤や黄の星のあいだをのぼって行ったり、どこまでも風に飛ばされたり、又鷹が来てからだをつかんだりしたようでした。 つめたいものがにわかに顔に落ちました。よだかは眼をひらきました。一本の若いすすきの葉から露がしたたったのでした。もうすっかり夜になって、空は青ぐろく、一面の星がまたたいていました。よだかはそらへ飛びあがりました。今夜も山やけの火はまっかです。よだかはその火のかすかな照りと、つめたいほしあかりの中をとびめぐりました。それからもう一ぺん飛びめぐりました。そして思い切って西のそらのあの美しいオリオンの星の方に、まっすぐに飛びながら叫びました。 「お星さん。西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。」 オリオンは勇ましい歌をつづけながらよだかなどはてんで相手にしませんでした。よだかは泣きそうになって、よろよろと落ちて、それからやっとふみとまって、もう一ぺんとびめぐりました。それから、南の大犬座の方へまっすぐに飛びながら叫びました。 「お星さん。南の青いお星さん。どうか私をあなたの所へつれてって下さい。やけて死んでもかまいません。」 大犬は青や紫や黄やうつくしくせわしくまたたきながら云いました。 「馬鹿を云うな。おまえなんか一体どんなものだい。たかが鳥じゃないか。おまえのはねでここまで来るには、億年兆年億兆年だ。」そしてまた別の方を向きました。 よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又二へん飛びめぐりました。それから又思い切って北の大熊星の方へまっすぐに飛びながら叫びました。 「北の青いお星さま、あなたの所へどうか私を連れてって下さい。」 大熊星はしずかに云いました。 「余計なことを考えるものではない。少し頭をひやして来なさい。そう云うときは、氷山の浮いている海の中へ飛び込むか、近くに海がなかったら、氷をうかべたコップの水の中へ飛び込むのが一等だ。」 よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又、四へんそらをめぐりました。そしてもう一度、東から今のぼった天の川の向う岸の鷲の星に叫びました。 「東の白いお星さま、どうか私をあなたの所へ連れてって下さい。やけて死んでもかまいません。」 鷲は大風に云いました。 「いいや、とてもとても、話にも何にもならん。星になるには、それ相応の身分でなくちゃいかん。又よほど金もいるのだ。」 よだかはもうすっかり力を落してしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄かにのろしのようにそらへとびあがりました。そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲うときするように、ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。 それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。その声はまるで鷹でした。野原や林にねむっていたほかのとりは、みんな目をさまして、ぶるぶるふるえながら、いぶかしそうにほしぞらを見あげました。 夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。 寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。 それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。 今でもまだ燃えています。」

12/03(Sun) 20:40:36 ???「 小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。 一、五月 二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話てゐました。 『クラムボンはわらつたよ。』 『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』 『クラムボンは跳てわらつたよ。』 『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』 上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。 『クラムボンはわらつてゐたよ。』 『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』 『それならなぜクラムボンはわらつたの。』 『知らない。』 つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつぽつぽつとつゞけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のやうに光つて斜めに上の方へのぼつて行きました。 つうと銀のいろの腹をひるがへして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。 『クラムボンは死んだよ。』 『クラムボンは殺されたよ。』 『クラムボンは死んでしまつたよ………。』 『殺されたよ。』 『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べつたい頭にのせながら云ひました。 『わからない。』 魚がまたツウと戻つて下流の方へ行きました。 『クラムボンはわらつたよ。』 『わらつた。』 にはかにパツと明るくなり、日光の黄金は夢のやうに水の中に降つて来ました。 波から来る光の網が、底の白い磐の上で美しくゆらゆらのびたりちゞんだりしました。泡や小さなごみからはまつすぐな影の棒が、斜めに水の中に並んで立ちました。 魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして、又上流の方へのぼりました。 『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。』 弟の蟹がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。 『何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。』 『とつてるの。』 『うん。』 そのお魚がまた上流から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて、ひれも尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環のやうに円くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。 『お魚は……。』 その時です。俄に天井に白い泡がたつて、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のやうなものが、いきなり飛込んで来ました。 兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖つてゐるのも見ました。と思ふうちに、魚の白い腹がぎらつと光つて一ぺんひるがへり、上の方へのぼつたやうでしたが、それつきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。 二疋はまるで声も出ず居すくまつてしまひました。 お父さんの蟹が出て来ました。 『どうしたい。ぶるぶるふるへてゐるぢやないか。』 『お父さん、いまをかしなものが来たよ。』 『どんなもんだ。』 『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖つてるの。それが来たらお魚が上へのぼつて行つたよ。』 『そいつの眼が赤かつたかい。』 『わからない。』 『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かはせみと云ふんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまはないんだから。』 『お父さん、お魚はどこへ行つたの。』 『魚かい。魚はこはい所へ行つた』 『こはいよ、お父さん。』 『いゝいゝ、大丈夫だ。心配するな。そら、樺の花が流れて来た。ごらん、きれいだらう。』 泡と一緒に、白い樺の花びらが天井をたくさんすべつて来ました。 『こはいよ、お父さん。』弟の蟹も云ひました。 光の網はゆらゆら、のびたりちゞんだり、花びらの影はしづかに砂をすべりました。 二、十二月 蟹の子供らはもうよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすつかり変りました。 白い柔かな円石もころがつて来小さな錐の形の水晶の粒や、金雲母のかけらもながれて来てとまりました。 そのつめたい水の底まで、ラムネの瓶の月光がいつぱいに透とほり天井では波が青じろい火を、燃したり消したりしてゐるやう、あたりはしんとして、たゞいかにも遠くからといふやうに、その波の音がひゞいて来るだけです。 蟹の子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので睡らないで外に出て、しばらくだまつて泡をはいて天井の方を見てゐました。 『やつぱり僕の泡は大きいね。』 『兄さん、わざと大きく吐いてるんだい。僕だつてわざとならもつと大きく吐けるよ。』 『吐いてごらん。おや、たつたそれきりだらう。いゝかい、兄さんが吐くから見ておいで。そら、ね、大きいだらう。』 『大きかないや、おんなじだい。』 『近くだから自分のが大きく見えるんだよ。そんなら一緒に吐いてみよう。いゝかい、そら。』 『やつぱり僕の方大きいよ。』 『本当かい。ぢや、も一つはくよ。』 『だめだい、そんなにのびあがつては。』 またお父さんの蟹が出て来ました。 『もうねろねろ。遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。』 『お父さん、僕たちの泡どつち大きいの』 『それは兄さんの方だらう』 『さうぢやないよ、僕の方大きいんだよ』弟の蟹は泣きさうになりました。 そのとき、トブン。 黒い円い大きなものが、天井から落ちてずうつとしづんで又上へのぼつて行きました。キラキラツと黄金のぶちがひかりました。 『かはせみだ』子供らの蟹は頸をすくめて云ひました。 お父さんの蟹は、遠めがねのやうな両方の眼をあらん限り延ばして、よくよく見てから云ひました。 『さうぢやない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行つて見よう、あゝいゝ匂ひだな』 なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいい匂ひでいつぱいでした。 三疋はぽかぽか流れて行くやまなしのあとを追ひました。 その横あるきと、底の黒い三つの影法師が、合せて六つ踊るやうにして、山なしの円い影を追ひました。 間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青い焔をあげ、やまなしは横になつて木の枝にひつかかつてとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。 『どうだ、やつぱりやまなしだよ、よく熟してゐる、いい匂ひだらう。』 『おいしさうだね、お父さん』 『待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰つて寝よう、おいで』 親子の蟹は三疋自分等の穴に帰つて行きます。 波はいよいよ青じろい焔をゆらゆらとあげました、それは又金剛石の粉をはいてゐるやうでした。 □ 私の幻燈はこれでおしまひであります。」

12/03(Sun) 20:45:40 ???「 ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。 ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。 トランペットは一生けん命歌っています。 ヴァイオリンも二いろ風のように鳴っています。 クラリネットもボーボーとそれに手伝っています。 ゴーシュも口をりんと結んで眼を皿のようにして楽譜を見つめながらもう一心に弾いています。 にわかにぱたっと楽長が両手を鳴らしました。みんなぴたりと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。 「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」 みんなは今の所の少し前の所からやり直しました。ゴーシュは顔をまっ赤にして額に汗を出しながらやっといま云われたところを通りました。ほっと安心しながら、つづけて弾いていますと楽長がまた手をぱっと拍ちました。 「セロっ。糸が合わない。困るなあ。ぼくはきみにドレミファを教えてまでいるひまはないんだがなあ。」 みんなは気の毒そうにしてわざとじぶんの譜をのぞき込んだりじぶんの楽器をはじいて見たりしています。ゴーシュはあわてて糸を直しました。これはじつはゴーシュも悪いのですがセロもずいぶん悪いのでした。 「今の前の小節から。はいっ。」 みんなはまたはじめました。ゴーシュも口をまげて一生けん命です。そしてこんどはかなり進みました。いいあんばいだと思っていると楽長がおどすような形をしてまたぱたっと手を拍ちました。またかとゴーシュはどきっとしましたがありがたいことにはこんどは別の人でした。ゴーシュはそこでさっきじぶんのときみんながしたようにわざとじぶんの譜へ眼を近づけて何か考えるふりをしていました。 「ではすぐ今の次。はいっ。」 そらと思って弾き出したかと思うといきなり楽長が足をどんと踏んでどなり出しました。 「だめだ。まるでなっていない。このへんは曲の心臓なんだ。それがこんながさがさしたことで。諸君。演奏までもうあと十日しかないんだよ。音楽を専門にやっているぼくらがあの金沓鍛冶だの砂糖屋の丁稚なんかの寄り集りに負けてしまったらいったいわれわれの面目はどうなるんだ。おいゴーシュ君。君には困るんだがなあ。表情ということがまるでできてない。怒るも喜ぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。それにどうしてもぴたっと外の楽器と合わないもなあ。いつでもきみだけとけた靴のひもを引きずってみんなのあとをついてあるくようなんだ、困るよ、しっかりしてくれないとねえ。光輝あるわが金星音楽団がきみ一人のために悪評をとるようなことでは、みんなへもまったく気の毒だからな。では今日は練習はここまで、休んで六時にはかっきりボックスへ入ってくれ給え。」 みんなはおじぎをして、それからたばこをくわえてマッチをすったりどこかへ出て行ったりしました。ゴーシュはその粗末な箱みたいなセロをかかえて壁の方へ向いて口をまげてぼろぼろ泪をこぼしましたが、気をとり直してじぶんだけたったひとりいまやったところをはじめからしずかにもいちど弾きはじめました。 その晩遅くゴーシュは何か巨きな黒いものをしょってじぶんの家へ帰ってきました。家といってもそれは町はずれの川ばたにあるこわれた水車小屋で、ゴーシュはそこにたった一人ですんでいて午前は小屋のまわりの小さな畑でトマトの枝をきったり甘藍の虫をひろったりしてひるすぎになるといつも出て行っていたのです。ゴーシュがうちへ入ってあかりをつけるとさっきの黒い包みをあけました。それは何でもない。あの夕方のごつごつしたセロでした。ゴーシュはそれを床の上にそっと置くと、いきなり棚からコップをとってバケツの水をごくごくのみました。 それから頭を一つふって椅子へかけるとまるで虎みたいな勢でひるの譜を弾きはじめました。譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き一生けん命しまいまで行くとまたはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごう弾きつづけました。 夜中もとうにすぎてしまいはもうじぶんが弾いているのかもわからないようになって顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄い顔つきになりいまにも倒れるかと思うように見えました。 そのとき誰かうしろの扉をとんとんと叩くものがありました。 「ホーシュ君か。」ゴーシュはねぼけたように叫びました。ところがすうと扉を押してはいって来たのはいままで五六ぺん見たことのある大きな三毛猫でした。 ゴーシュの畑からとった半分熟したトマトをさも重そうに持って来てゴーシュの前におろして云いました。 「ああくたびれた。なかなか運搬はひどいやな。」 「何だと」ゴーシュがききました。 「これおみやです。たべてください。」三毛猫が云いました。 ゴーシュはひるからのむしゃくしゃを一ぺんにどなりつけました。 「誰がきさまにトマトなど持ってこいと云った。第一おれがきさまらのもってきたものなど食うか。それからそのトマトだっておれの畑のやつだ。何だ。赤くもならないやつをむしって。いままでもトマトの茎をかじったりけちらしたりしたのはおまえだろう。行ってしまえ。ねこめ。」 すると猫は肩をまるくして眼をすぼめてはいましたが口のあたりでにやにやわらって云いました。 「先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。」 「生意気なことを云うな。ねこのくせに。」 セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようとしばらく考えました。 「いやご遠慮はありません。どうぞ。わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。」 「生意気だ。生意気だ。生意気だ。」 ゴーシュはすっかりまっ赤になってひるま楽長のしたように足ぶみしてどなりましたがにわかに気を変えて云いました。 「では弾くよ。」 ゴーシュは何と思ったか扉にかぎをかって窓もみんなしめてしまい、それからセロをとりだしてあかしを消しました。すると外から二十日過ぎの月のひかりが室のなかへ半分ほどはいってきました。 「何をひけと。」 「トロメライ、ロマチックシューマン作曲。」猫は口を拭いて済まして云いました。 「そうか。トロメライというのはこういうのか。」 セロ弾きは何と思ったかまずはんけちを引きさいてじぶんの耳の穴へぎっしりつめました。それからまるで嵐のような勢で「印度の虎狩」という譜を弾きはじめました。 すると猫はしばらく首をまげて聞いていましたがいきなりパチパチパチッと眼をしたかと思うとぱっと扉の方へ飛びのきました。そしていきなりどんと扉へからだをぶっつけましたが扉はあきませんでした。猫はさあこれはもう一生一代の失敗をしたという風にあわてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました。するとこんどは口のひげからも鼻からも出ましたから猫はくすぐったがってしばらくくしゃみをするような顔をしてそれからまたさあこうしてはいられないぞというようにはせあるきだしました。ゴーシュはすっかり面白くなってますます勢よくやり出しました。 「先生もうたくさんです。たくさんですよ。ご生ですからやめてください。これからもう先生のタクトなんかとりませんから。」 「だまれ。これから虎をつかまえる所だ。」 猫はくるしがってはねあがってまわったり壁にからだをくっつけたりしましたが壁についたあとはしばらく青くひかるのでした。しまいは猫はまるで風車のようにぐるぐるぐるぐるゴーシュをまわりました。 ゴーシュもすこしぐるぐるして来ましたので、 「さあこれで許してやるぞ」と云いながらようようやめました。 すると猫もけろりとして 「先生、こんやの演奏はどうかしてますね。」と云いました。 セロ弾きはまたぐっとしゃくにさわりましたが何気ない風で巻たばこを一本だして口にくわえそれからマッチを一本とって 「どうだい。工合をわるくしないかい。舌を出してごらん。」 猫はばかにしたように尖った長い舌をベロリと出しました。 「ははあ、少し荒れたね。」セロ弾きは云いながらいきなりマッチを舌でシュッとすってじぶんのたばこへつけました。さあ猫は愕いたの何の舌を風車のようにふりまわしながら入り口の扉へ行って頭でどんとぶっつかってはよろよろとしてまた戻って来てどんとぶっつかってはよろよろまた戻って来てまたぶっつかってはよろよろにげみちをこさえようとしました。 ゴーシュはしばらく面白そうに見ていましたが 「出してやるよ。もう来るなよ。ばか。」 セロ弾きは扉をあけて猫が風のように萱のなかを走って行くのを見てちょっとわらいました。それから、やっとせいせいしたというようにぐっすりねむりました。 次の晩もゴーシュがまた黒いセロの包みをかついで帰ってきました。そして水をごくごくのむとそっくりゆうべのとおりぐんぐんセロを弾きはじめました。十二時は間もなく過ぎ一時もすぎ二時もすぎてもゴーシュはまだやめませんでした。それからもう何時だかもわからず弾いているかもわからずごうごうやっていますと誰か屋根裏をこっこっと叩くものがあります。 「猫、まだこりないのか。」 ゴーシュが叫びますといきなり天井の穴からぽろんと音がして一疋の灰いろの鳥が降りて来ました。床へとまったのを見るとそれはかっこうでした。 「鳥まで来るなんて。何の用だ。」ゴーシュが云いました。 「音楽を教わりたいのです。」 かっこう鳥はすまして云いました。 ゴーシュは笑って 「音楽だと。おまえの歌は、かっこう、かっこうというだけじゃあないか。」 するとかっこうが大へんまじめに 「ええ、それなんです。けれどもむずかしいですからねえ。」と云いました。 「むずかしいもんか。おまえたちのはたくさん啼くのがひどいだけで、なきようは何でもないじゃないか。」 「ところがそれがひどいんです。たとえばかっこうとこうなくのとかっこうとこうなくのとでは聞いていてもよほどちがうでしょう。」 「ちがわないね。」 「ではあなたにはわからないんです。わたしらのなかまならかっこうと一万云えば一万みんなちがうんです。」 「勝手だよ。そんなにわかってるなら何もおれの処へ来なくてもいいではないか。」 「ところが私はドレミファを正確にやりたいんです。」 「ドレミファもくそもあるか。」 「ええ、外国へ行く前にぜひ一度いるんです。」 「外国もくそもあるか。」 「先生どうかドレミファを教えてください。わたしはついてうたいますから。」 「うるさいなあ。そら三べんだけ弾いてやるからすんだらさっさと帰るんだぞ。」 ゴーシュはセロを取り上げてボロンボロンと糸を合わせてドレミファソラシドとひきました。するとかっこうはあわてて羽をばたばたしました。 「ちがいます、ちがいます。そんなんでないんです。」 「うるさいなあ。ではおまえやってごらん。」 「こうですよ。」かっこうはからだをまえに曲げてしばらく構えてから 「かっこう」と一つなきました。 「何だい。それがドレミファかい。おまえたちには、それではドレミファも第六交響楽も同じなんだな。」 「それはちがいます。」 「どうちがうんだ。」 「むずかしいのはこれをたくさん続けたのがあるんです。」 「つまりこうだろう。」セロ弾きはまたセロをとって、かっこうかっこうかっこうかっこうかっこうとつづけてひきました。 するとかっこうはたいへんよろこんで途中からかっこうかっこうかっこうかっこうとついて叫びました。それももう一生けん命からだをまげていつまでも叫ぶのです。 ゴーシュはとうとう手が痛くなって 「こら、いいかげんにしないか。」と云いながらやめました。するとかっこうは残念そうに眼をつりあげてまだしばらくないていましたがやっと 「……かっこうかくうかっかっかっかっか」と云ってやめました。 ゴーシュがすっかりおこってしまって、 「こらとり、もう用が済んだらかえれ」と云いました。 「どうかもういっぺん弾いてください。あなたのはいいようだけれどもすこしちがうんです。」 「何だと、おれがきさまに教わってるんではないんだぞ。帰らんか。」 「どうかたったもう一ぺんおねがいです。どうか。」かっこうは頭を何べんもこんこん下げました。 「ではこれっきりだよ。」 ゴーシュは弓をかまえました。かっこうは「くっ」とひとつ息をして 「ではなるべく永くおねがいいたします。」といってまた一つおじぎをしました。 「いやになっちまうなあ。」ゴーシュはにが笑いしながら弾きはじめました。するとかっこうはまたまるで本気になって「かっこうかっこうかっこう」とからだをまげてじつに一生けん命叫びました。ゴーシュははじめはむしゃくしゃしていましたがいつまでもつづけて弾いているうちにふっと何だかこれは鳥の方がほんとうのドレミファにはまっているかなという気がしてきました。どうも弾けば弾くほどかっこうの方がいいような気がするのでした。 「えいこんなばかなことしていたらおれは鳥になってしまうんじゃないか。」とゴーシュはいきなりぴたりとセロをやめました。 するとかっこうはどしんと頭を叩かれたようにふらふらっとしてそれからまたさっきのように 「かっこうかっこうかっこうかっかっかっかっかっ」と云ってやめました。それから恨めしそうにゴーシュを見て 「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ。」と云いました。 「何を生意気な。こんなばかなまねをいつまでしていられるか。もう出て行け。見ろ。夜があけるんじゃないか。」ゴーシュは窓を指さしました。 東のそらがぼうっと銀いろになってそこをまっ黒な雲が北の方へどんどん走っています。 「ではお日さまの出るまでどうぞ。もう一ぺん。ちょっとですから。」 かっこうはまた頭を下げました。 「黙れっ。いい気になって。このばか鳥め。出て行かんとむしって朝飯に食ってしまうぞ。」ゴーシュはどんと床をふみました。 するとかっこうはにわかにびっくりしたようにいきなり窓をめがけて飛び立ちました。そして硝子にはげしく頭をぶっつけてばたっと下へ落ちました。 「何だ、硝子へばかだなあ。」ゴーシュはあわてて立って窓をあけようとしましたが元来この窓はそんなにいつでもするする開く窓ではありませんでした。ゴーシュが窓のわくをしきりにがたがたしているうちにまたかっこうがばっとぶっつかって下へ落ちました。見ると嘴のつけねからすこし血が出ています。」

12/03(Sun) 20:45:59 ???「「いまあけてやるから待っていろったら。」ゴーシュがやっと二寸ばかり窓をあけたとき、かっこうは起きあがって何が何でもこんどこそというようにじっと窓の向うの東のそらをみつめて、あらん限りの力をこめた風でぱっと飛びたちました。もちろんこんどは前よりひどく硝子につきあたってかっこうは下へ落ちたまましばらく身動きもしませんでした。つかまえてドアから飛ばしてやろうとゴーシュが手を出しましたらいきなりかっこうは眼をひらいて飛びのきました。そしてまたガラスへ飛びつきそうにするのです。ゴーシュは思わず足を上げて窓をばっとけりました。ガラスは二三枚物すごい音して砕け窓はわくのまま外へ落ちました。そのがらんとなった窓のあとをかっこうが矢のように外へ飛びだしました。そしてもうどこまでもどこまでもまっすぐに飛んで行ってとうとう見えなくなってしまいました。ゴーシュはしばらく呆れたように外を見ていましたが、そのまま倒れるように室のすみへころがって睡ってしまいました。 次の晩もゴーシュは夜中すぎまでセロを弾いてつかれて水を一杯のんでいますと、また扉をこつこつ叩くものがあります。 今夜は何が来てもゆうべのかっこうのようにはじめからおどかして追い払ってやろうと思ってコップをもったまま待ち構えて居りますと、扉がすこしあいて一疋の狸の子がはいってきました。ゴーシュはそこでその扉をもう少し広くひらいて置いてどんと足をふんで、 「こら、狸、おまえは狸汁ということを知っているかっ。」とどなりました。すると狸の子はぼんやりした顔をしてきちんと床へ座ったままどうもわからないというように首をまげて考えていましたが、しばらくたって 「狸汁ってぼく知らない。」と云いました。ゴーシュはその顔を見て思わず吹き出そうとしましたが、まだ無理に恐い顔をして、 「では教えてやろう。狸汁というのはな。おまえのような狸をな、キャベジや塩とまぜてくたくたと煮ておれさまの食うようにしたものだ。」と云いました。すると狸の子はまたふしぎそうに 「だってぼくのお父さんがね、ゴーシュさんはとてもいい人でこわくないから行って習えと云ったよ。」と云いました。そこでゴーシュもとうとう笑い出してしまいました。 「何を習えと云ったんだ。おれはいそがしいんじゃないか。それに睡いんだよ。」 狸の子は俄に勢がついたように一足前へ出ました。 「ぼくは小太鼓の係りでねえ。セロへ合わせてもらって来いと云われたんだ。」 「どこにも小太鼓がないじゃないか。」 「そら、これ」狸の子はせなかから棒きれを二本出しました。 「それでどうするんだ。」 「ではね、『愉快な馬車屋』を弾いてください。」 「なんだ愉快な馬車屋ってジャズか。」 「ああこの譜だよ。」狸の子はせなかからまた一枚の譜をとり出しました。ゴーシュは手にとってわらい出しました。 「ふう、変な曲だなあ。よし、さあ弾くぞ。おまえは小太鼓を叩くのか。」ゴーシュは狸の子がどうするのかと思ってちらちらそっちを見ながら弾きはじめました。 すると狸の子は棒をもってセロの駒の下のところを拍子をとってぽんぽん叩きはじめました。それがなかなかうまいので弾いているうちにゴーシュはこれは面白いぞと思いました。 おしまいまでひいてしまうと狸の子はしばらく首をまげて考えました。 それからやっと考えついたというように云いました。 「ゴーシュさんはこの二番目の糸をひくときはきたいに遅れるねえ。なんだかぼくがつまずくようになるよ。」 ゴーシュははっとしました。たしかにその糸はどんなに手早く弾いてもすこしたってからでないと音が出ないような気がゆうべからしていたのでした。 「いや、そうかもしれない。このセロは悪いんだよ。」とゴーシュはかなしそうに云いました。すると狸は気の毒そうにしてまたしばらく考えていましたが 「どこが悪いんだろうなあ。ではもう一ぺん弾いてくれますか。」 「いいとも弾くよ。」ゴーシュははじめました。狸の子はさっきのようにとんとん叩きながら時々頭をまげてセロに耳をつけるようにしました。そしておしまいまで来たときは今夜もまた東がぼうと明るくなっていました。 「ああ夜が明けたぞ。どうもありがとう。」狸の子は大へんあわてて譜や棒きれをせなかへしょってゴムテープでぱちんととめておじぎを二つ三つすると急いで外へ出て行ってしまいました。 ゴーシュはぼんやりしてしばらくゆうべのこわれたガラスからはいってくる風を吸っていましたが、町へ出て行くまで睡って元気をとり戻そうと急いでねどこへもぐり込みました。 次の晩もゴーシュは夜通しセロを弾いて明方近く思わずつかれて楽譜をもったままうとうとしていますとまた誰か扉をこつこつと叩くものがあります。それもまるで聞えるか聞えないかの位でしたが毎晩のことなのでゴーシュはすぐ聞きつけて「おはいり。」と云いました。すると戸のすきまからはいって来たのは一ぴきの野ねずみでした。そして大へんちいさなこどもをつれてちょろちょろとゴーシュの前へ歩いてきました。そのまた野ねずみのこどもときたらまるでけしごむのくらいしかないのでゴーシュはおもわずわらいました。すると野ねずみは何をわらわれたろうというようにきょろきょろしながらゴーシュの前に来て、青い栗の実を一つぶ前においてちゃんとおじぎをして云いました。 「先生、この児があんばいがわるくて死にそうでございますが先生お慈悲になおしてやってくださいまし。」 「おれが医者などやれるもんか。」ゴーシュはすこしむっとして云いました。すると野ねずみのお母さんは下を向いてしばらくだまっていましたがまた思い切ったように云いました。 「先生、それはうそでございます、先生は毎日あんなに上手にみんなの病気をなおしておいでになるではありませんか。」 「何のことだかわからんね。」 「だって先生先生のおかげで、兎さんのおばあさんもなおりましたし狸さんのお父さんもなおりましたしあんな意地悪のみみずくまでなおしていただいたのにこの子ばかりお助けをいただけないとはあんまり情ないことでございます。」 「おいおい、それは何かの間ちがいだよ。おれはみみずくの病気なんどなおしてやったことはないからな。もっとも狸の子はゆうべ来て楽隊のまねをして行ったがね。ははん。」ゴーシュは呆れてその子ねずみを見おろしてわらいました。 すると野鼠のお母さんは泣きだしてしまいました。 「ああこの児はどうせ病気になるならもっと早くなればよかった。さっきまであれ位ごうごうと鳴らしておいでになったのに、病気になるといっしょにぴたっと音がとまってもうあとはいくらおねがいしても鳴らしてくださらないなんて。何てふしあわせな子どもだろう。」 ゴーシュはびっくりして叫びました。 「何だと、ぼくがセロを弾けばみみずくや兎の病気がなおると。どういうわけだ。それは。」 野ねずみは眼を片手でこすりこすり云いました。 「はい、ここらのものは病気になるとみんな先生のおうちの床下にはいって療すのでございます。」 「すると療るのか。」 「はい。からだ中とても血のまわりがよくなって大へんいい気持ちですぐ療る方もあればうちへ帰ってから療る方もあります。」 「ああそうか。おれのセロの音がごうごうひびくと、それがあんまの代りになっておまえたちの病気がなおるというのか。よし。わかったよ。やってやろう。」ゴーシュはちょっとギウギウと糸を合せてそれからいきなりのねずみのこどもをつまんでセロの孔から中へ入れてしまいました。 「わたしもいっしょについて行きます。どこの病院でもそうですから。」おっかさんの野ねずみはきちがいのようになってセロに飛びつきました。 「おまえさんもはいるかね。」セロ弾きはおっかさんの野ねずみをセロの孔からくぐしてやろうとしましたが顔が半分しかはいりませんでした。 野ねずみはばたばたしながら中のこどもに叫びました。 「おまえそこはいいかい。落ちるときいつも教えるように足をそろえてうまく落ちたかい。」 「いい。うまく落ちた。」こどものねずみはまるで蚊のような小さな声でセロの底で返事しました。 「大丈夫さ。だから泣き声出すなというんだ。」ゴーシュはおっかさんのねずみを下におろしてそれから弓をとって何とかラプソディとかいうものをごうごうがあがあ弾きました。するとおっかさんのねずみはいかにも心配そうにその音の工合をきいていましたがとうとうこらえ切れなくなったふうで 「もう沢山です。どうか出してやってください。」と云いました。 「なあんだ、これでいいのか。」ゴーシュはセロをまげて孔のところに手をあてて待っていましたら間もなくこどものねずみが出てきました。ゴーシュは、だまってそれをおろしてやりました。見るとすっかり目をつぶってぶるぶるぶるぶるふるえていました。 「どうだったの。いいかい。気分は。」 こどものねずみはすこしもへんじもしないでまだしばらく眼をつぶったままぶるぶるぶるぶるふるえていましたがにわかに起きあがって走りだした。 「ああよくなったんだ。ありがとうございます。ありがとうございます。」おっかさんのねずみもいっしょに走っていましたが、まもなくゴーシュの前に来てしきりにおじぎをしながら 「ありがとうございますありがとうございます」と十ばかり云いました。 ゴーシュは何がなかあいそうになって 「おい、おまえたちはパンはたべるのか。」とききました。 すると野鼠はびっくりしたようにきょろきょろあたりを見まわしてから 「いえ、もうおパンというものは小麦の粉をこねたりむしたりしてこしらえたものでふくふく膨らんでいておいしいものなそうでございますが、そうでなくても私どもはおうちの戸棚へなど参ったこともございませんし、ましてこれ位お世話になりながらどうしてそれを運びになんど参れましょう。」と云いました。 「いや、そのことではないんだ。ただたべるのかときいたんだ。ではたべるんだな。ちょっと待てよ。その腹の悪いこどもへやるからな。」 ゴーシュはセロを床へ置いて戸棚からパンを一つまみむしって野ねずみの前へ置きました。 野ねずみはもうまるでばかのようになって泣いたり笑ったりおじぎをしたりしてから大じそうにそれをくわえてこどもをさきに立てて外へ出て行きました。 「あああ。鼠と話するのもなかなかつかれるぞ。」ゴーシュはねどこへどっかり倒れてすぐぐうぐうねむってしまいました。 それから六日目の晩でした。金星音楽団の人たちは町の公会堂のホールの裏にある控室へみんなぱっと顔をほてらしてめいめい楽器をもって、ぞろぞろホールの舞台から引きあげて来ました。首尾よく第六交響曲を仕上げたのです。ホールでは拍手の音がまだ嵐のように鳴って居ります。楽長はポケットへ手をつっ込んで拍手なんかどうでもいいというようにのそのそみんなの間を歩きまわっていましたが、じつはどうして嬉しさでいっぱいなのでした。みんなはたばこをくわえてマッチをすったり楽器をケースへ入れたりしました。 ホールはまだぱちぱち手が鳴っています。それどころではなくいよいよそれが高くなって何だかこわいような手がつけられないような音になりました。大きな白いリボンを胸につけた司会者がはいって来ました。 「アンコールをやっていますが、何かみじかいものでもきかせてやってくださいませんか。」 すると楽長がきっとなって答えました。「いけませんな。こういう大物のあとへ何を出したってこっちの気の済むようには行くもんでないんです。」 「では楽長さん出て一寸挨拶してください。」 「だめだ。おい、ゴーシュ君、何か出て弾いてやってくれ。」 「わたしがですか。」ゴーシュは呆気にとられました。 「君だ、君だ。」ヴァイオリンの一番の人がいきなり顔をあげて云いました。 「さあ出て行きたまえ。」楽長が云いました。みんなもセロをむりにゴーシュに持たせて扉をあけるといきなり舞台へゴーシュを押し出してしまいました。ゴーシュがその孔のあいたセロをもってじつに困ってしまって舞台へ出るとみんなはそら見ろというように一そうひどく手を叩きました。わあと叫んだものもあるようでした。 「どこまでひとをばかにするんだ。よし見ていろ。印度の虎狩をひいてやるから。」ゴーシュはすっかり落ちついて舞台のまん中へ出ました。 それからあの猫の来たときのようにまるで怒った象のような勢で虎狩りを弾きました。ところが聴衆はしいんとなって一生けん命聞いています。ゴーシュはどんどん弾きました。猫が切ながってぱちぱち火花を出したところも過ぎました。扉へからだを何べんもぶっつけた所も過ぎました。 曲が終るとゴーシュはもうみんなの方などは見もせずちょうどその猫のようにすばやくセロをもって楽屋へ遁げ込みました。すると楽屋では楽長はじめ仲間がみんな火事にでもあったあとのように眼をじっとしてひっそりとすわり込んでいます。ゴーシュはやぶれかぶれだと思ってみんなの間をさっさとあるいて行って向うの長椅子へどっかりとからだをおろして足を組んですわりました。 するとみんなが一ぺんに顔をこっちへ向けてゴーシュを見ましたがやはりまじめでべつにわらっているようでもありませんでした。 「こんやは変な晩だなあ。」 ゴーシュは思いました。ところが楽長は立って云いました。 「ゴーシュ君、よかったぞお。あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。」 仲間もみんな立って来て「よかったぜ」とゴーシュに云いました。 「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまうからな。」楽長が向うで云っていました。 その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。 そしてまた水をがぶがぶ呑みました。それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら 「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。」

12/03(Sun) 20:48:24 ???「序 わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといつしよに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち その電燈は失はれ) これらは二十二箇月の 過去とかんずる方角から 紙と鉱質インクをつらね (すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの) ここまでたもちつゞけられた かげとひかりのひとくさりづつ そのとほりの心象スケツチです これらについて人や銀河や修羅や海胆は 宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが それらも畢竟こゝろのひとつの風物です たゞたしかに記録されたこれらのけしきは 記録されたそのとほりのこのけしきで それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで ある程度まではみんなに共通いたします (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから) けれどもこれら新生代沖積世の 巨大に明るい時間の集積のなかで 正しくうつされた筈のこれらのことばが わづかその一点にも均しい明暗のうちに (あるいは修羅の十億年) すでにはやくもその組立や質を変じ しかもわたくしも印刷者も それを変らないとして感ずることは 傾向としてはあり得ます けだしわれわれがわれわれの感官や 風景や人物をかんずるやうに そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに 記録や歴史 あるいは地史といふものも それのいろいろの論料といつしよに (因果の時空的制約のもとに) われわれがかんじてゐるのに過ぎません おそらくこれから二千年もたつたころは それ相当のちがつた地質学が流用され 相当した証拠もまた次次過去から現出し みんなは二千年ぐらゐ前には 青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ 新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層 きらびやかな氷窒素のあたりから すてきな化石を発掘したり あるいは白堊紀砂岩の層面に 透明な人類の巨大な足跡を 発見するかもしれません すべてこれらの命題は 心象や時間それ自身の性質として 第四次延長のなかで主張されます 大正十三年一月廿日 宮沢賢治」

12/03(Sun) 20:48:51 ???「屈折率 七つ森のこつちのひとつが 水の中よりもつと明るく そしてたいへん巨きいのに わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ このでこぼこの雪をふみ 向ふの縮れた亜鉛の雲へ 陰気な郵便脚夫のやうに (またアラツデイン 洋燈とり) 急がなければならないのか (一九二二、一、六) [#改ページ] くらかけの雪 たよりになるのは くらかけつづきの雪ばかり 野はらもはやしも ぽしやぽしやしたり黝んだりして すこしもあてにならないので ほんたうにそんな酵母のふうの 朧ろなふぶきですけれども ほのかなのぞみを送るのは くらかけ山の雪ばかり (ひとつの古風な信仰です) (一九二二、一、六) [#改ページ] 日輪と太市 日は今日は小さな天の銀盤で 雲がその面を どんどん侵してかけてゐる 吹雪も光りだしたので 太市は毛布の赤いズボンをはいた (一九二二、一、九) [#改ページ] 丘の眩惑 ひとかけづつきれいにひかりながら そらから雪はしづんでくる 電しんばしらの影の藍※(「靜のへん+定」、第4水準2-91-94)や ぎらぎらの丘の照りかへし あすこの農夫の合羽のはじが どこかの風に鋭く截りとられて来たことは 一千八百十年代の 佐野喜の木版に相当する 野はらのはてはシベリヤの天末 土耳古玉製玲瓏のつぎ目も光り (お日さまは そらの遠くで白い火を どしどしお焚きなさいます) 笹の雪が 燃え落ちる 燃え落ちる (一九二二、一、一二) [#改ページ] カーバイト倉庫 まちなみのなつかしい灯とおもつて いそいでわたくしは雪と蛇紋岩との 山峡をでてきましたのに これはカーバイト倉庫の軒 すきとほつてつめたい電燈です (薄明どきのみぞれにぬれたのだから 巻烟草に一本火をつけるがいい) これらなつかしさの擦過は 寒さからだけ来たのでなく またさびしいためからだけでもない (一九二二、一、一二) [#改ページ] コバルト山地 コバルト山地の氷霧のなかで あやしい朝の火が燃えてゐます 毛無森のきり跡あたりの見当です たしかにせいしんてきの白い火が 水より強くどしどしどしどし燃えてゐます (一九二二、一、二二) [#改ページ] ぬすびと 青じろい骸骨星座のよあけがた 凍えた泥の乱反射をわたり 店さきにひとつ置かれた 提婆のかめをぬすんだもの にはかにもその長く黒い脚をやめ 二つの耳に二つの手をあて 電線のオルゴールを聴く (一九二二、三、二) [#改ページ] 恋と病熱 けふはぼくのたましひは疾み 烏さへ正視ができない あいつはちやうどいまごろから つめたい青銅の病室で 透明薔薇の火に燃される ほんたうに けれども妹よ けふはぼくもあんまりひどいから やなぎの花もとらない (一九二二、三、二〇) [#改ページ] 春と修羅 (mental sketch modified) 心象のはひいろはがねから あけびのつるはくもにからまり のばらのやぶや腐植の湿地 いちめんのいちめんの諂曲模様 (正午の管楽よりもしげく 琥珀のかけらがそそぐとき) いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を 唾し はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ (風景はなみだにゆすれ) 砕ける雲の眼路をかぎり れいろうの天の海には 聖玻璃の風が行き交ひ ZYPRESSEN 春のいちれつ くろぐろと光素を吸ひ その暗い脚並からは 天山の雪の稜さへひかるのに (かげろふの波と白い偏光) まことのことばはうしなはれ 雲はちぎれてそらをとぶ ああかがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする おれはひとりの修羅なのだ (玉髄の雲がながれて どこで啼くその春の鳥) 日輪青くかげろへば 修羅は樹林に交響し 陥りくらむ天の椀から 黒い木の群落が延び その枝はかなしくしげり すべて二重の風景を 喪神の森の梢から ひらめいてとびたつからす (気層いよいよすみわたり ひのきもしんと天に立つころ) 草地の黄金をすぎてくるもの ことなくひとのかたちのもの けらをまとひおれを見るその農夫 ほんたうにおれが見えるのか まばゆい気圏の海のそこに (かなしみは青々ふかく) ZYPRESSEN しづかにゆすれ 鳥はまた青ぞらを截る (まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる) あたらしくそらに息つけば ほの白く肺はちぢまり (このからだそらのみぢんにちらばれ) いてふのこずゑまたひかり ZYPRESSEN いよいよ黒く 雲の火ばなは降りそそぐ」

12/03(Sun) 20:50:01 ???「 ひなげしはみんなまっ赤に燃えあがり、めいめい風にぐらぐらゆれて、息もつけないようでした。そのひなげしのうしろの方で、やっぱり風に髪もからだも、いちめんもまれて立ちながら若いひのきが云いました。 「おまえたちはみんなまっ赤な帆船でね、いまがあらしのとこなんだ」 「いやあだ、あたしら、そんな帆船やなんかじゃないわ。せだけ高くてばかあなひのき。」ひなげしどもは、みんないっしょに云いました。 「そして向うに居るのはな、もうみがきたて燃えたての銅づくりのいきものなんだ。」 「いやあだ、お日さま、そんなあかがねなんかじゃないわ。せだけ高くてばかあなひのき。」ひなげしどもはみんないっしょに叫びます。 ところがこのときお日さまは、さっさっさっと大きな呼吸を四五へんついてるり色をした山に入ってしまいました。 風が一そうはげしくなってひのきもまるで青黒馬のしっぽのよう、ひなげしどもはみな熱病にかかったよう、てんでに何かうわごとを、南の風に云ったのですが風はてんから相手にせずどしどし向うへかけぬけます。 ひなげしどもはそこですこうししずまりました。東には大きな立派な雲の峰が少し青ざめて四つならんで立ちました。 いちばん小さいひなげしが、ひとりでこそこそ云いました。 「ああつまらないつまらない、もう一生合唱手だわ。いちど女王にしてくれたら、あしたは死んでもいいんだけど。」 となりの黒斑のはいった花がすぐ引きとって云いました。 「それはもちろんあたしもそうよ。だってスターにならなくたってどうせあしたは死ぬんだわ。」 「あら、いくらスターでなくってもあなたの位立派ならもうそれだけで沢山だわ。」 「うそうそ。とてもつまんない。そりゃあたしいくらかあなたよりあたしの方がいいわねえ。わたしもやっぱりそう思ってよ。けどテクラさんどうでしょう。まるで及びもつかないわ。青いチョッキの虻さんでも黄のだんだらの蜂めまでみなまっさきにあっちへ行くわ。」 向うの葵の花壇から悪魔が小さな蛙にばけて、ベートーベンの着たような青いフロックコートを羽織りそれに新月よりもけだかいばら娘に仕立てた自分の弟子の手を引いて、大変あわてた風をしてやって来たのです。 「や、道をまちがえたかな。それとも地図が違ってるか。失敗。失敗。はて、一寸聞いて見よう。もしもし、美容術のうちはどっちでしたかね。」 ひなげしはあんまり立派なばらの娘を見、又美容術と聞いたので、みんなドキッとしましたが、誰もはずかしがって返事をしませんでした。悪魔の蛙がばらの娘に云いました。 「ははあ、この辺のひなげしどもはみんなつんぼか何かだな。それに全然無学だな。」 娘にばけた悪魔の弟子はお口をちょっと三角にしていかにもすなおにうなずきました。 女王のテクラが、もう非常な勇気で云いました。 「何かご用でいらっしゃいますか。」 「あ、これは。ええ、一寸おたずねいたしますが、美容院はどちらでしょうか。」 「さあ、あいにくとそういうところ存じませんでございます。一体それがこの近所にでもございましょうか。」 「それはもちろん。現に私のこのむすめなど、前は尖ったおかしなもんでずいぶん心配しましたがかれこれ三度助手のお方に来ていただいてすっかり術をほどこしましてとにかく今はあなた方ともご交際なぞ願えばねがえるようなわけ、あす紐育に連れてでますのでちょっとお礼に出ましたので。では。」 「あ、一寸。一寸お待ち下さいませ。その美容術の先生はどこへでもご出張なさいますかしら。」 「しましょうな」 「それでは誠になんですがお序での節、こちらへもお廻りねがえませんでしょうか。」 「そう。しかし私はその先生の書生というでもありません。けれども、しかしとにかくそう云いましょう。おい。行こう。さよなら。」 悪魔は娘の手をひいて、向うのどてのかげまで行くと片眼をつぶって云いました。 「お前はこれで帰ってよし。そしてキャベジと鮒とをな灰で煮込んでおいてくれ。ではおれは今度は医者だから。」といいながらすっかり小さな白い鬚の医者にばけました。悪魔の弟子はさっそく大きな雀の形になってぼろんと飛んで行きました。 東の雲のみねはだんだん高く、だんだん白くなって、いまは空の頂上まで届くほどです。 悪魔は急いでひなげしの所へやって参りました。 「ええと、この辺じゃと云われたが、どうも門へ標札も出してないというようなあんばいだ。一寸たずねますが、ひなげしさんたちのおすまいはどの辺ですかな。」 賢いテクラがドキドキしながら云いました。 「あの、ひなげしは手前どもでございます。どなたでいらっしゃいますか。」 「そう、わしは先刻伯爵からご言伝になった医者ですがね。」 「それは失礼いたしました。椅子もございませんがまあどうぞこちらへ。そして私共は立派になれましょうか。」 「なりますね。まあ三服でちょっとさっきのむすめぐらいというところ。しかし薬は高いから。」 ひなげしはみんな顔色を変えてためいきをつきました。テクラがたずねました。 「一体どれ位でございましょう。」 「左様。お一人が五ビルです。」 ひなげしはしいんとしてしまいました。お医者の悪魔もあごのひげをひねったまましいんとして空をみあげています。雲のみねはだんだん崩れてしずかな金いろにかがやき、そおっと、北の方へ流れ出しました。 ひなげしはやっぱりしいんとしています。お医者もじっとやっぱりおひげをにぎったきり、花壇の遠くの方などはもうぼんやりと藍いろです。そのとき風が来ましたのでひなげしどもはちょっとざわっとなりました。 お医者もちらっと眼をうごかしたようでしたがまもなくやっぱり前のようしいんと静まり返っています。 その時一番小さいひなげしが、思い切ったように云いました。 「お医者さん。わたくしおあしなんか一文もないのよ。けども少したてばあたしの頭に亜片ができるのよ。それをみんなあげることにしてはいけなくって。」 「ほう。亜片かね。あんまり間には合わないけれどもとにかくその薬はわしの方では要るんでね。よし。いかにも承知した。証文を書きなさい。」 するとみんながまるで一ぺんに叫びました。 「私もどうかそうお願いいたします。どうか私もそうお願い致します。」 お医者はまるで困ったというように額に皺をよせて考えていましたが、 「仕方ない。よかろう。何もかもみな慈善のためじゃ。承知した。証文を書きなさい。」 さあ大変だあたし字なんか書けないわとひなげしどもがみんな一諸に思ったとき悪魔のお医者はもう持って来た鞄から印刷にした証書を沢山出しました。そして笑って云いました。 「ではそのわしがこの紙をひとつぱらぱらめくるからみんないっしょにこう云いなさい。 亜片はみんな差しあげ候と、」 まあよかったとひなげしどもはみんないちどにざわつきました。お医者は立って云いました。 「では」ぱらぱらぱらぱら、 「亜片はみんな差しあげ候。」 「よろしい。早速薬をあげる。一服、二服、三服とな。まずわたしがここで第一服の呪文をうたう。するとここらの空気にな。きらきら赤い波がたつ。それをみんなで呑むんだな。」 悪魔のお医者はとてもふしぎないい声でおかしな歌をやりました。 「まひるの草木と石土を 照らさんことを怠りし 赤きひかりは集い来てなすすべしらに漂えよ。」 するとほんとうにそこらのもう浅黄いろになった空気のなかに見えるか見えないような赤い光がかすかな波になってゆれました。ひなげしどもはじぶんこそいちばん美しくなろうと一生けん命その風を吸いました。 悪魔のお医者はきっと立ってこれを見渡していましたがその光が消えてしまうとまた云いました。 「では第二服 まひるの草木と石土を 照らさんことを怠りし 黄なるひかりは集い来てなすすべしらに漂えよ」 空気へうすい蜜のような色がちらちら波になりました。ひなげしはまた一生けん命です。 「では第三服」とお医者が云おうとしたときでした。 「おおい、お医者や、あんまり変な声を出してくれるなよ。ここは、セントジョバンニ様のお庭だからな。」ひのきが高く叫びました。 その時風がザァッとやって来ました。ひのきが高く叫びました。 「こうらにせ医者。まてっ。」 すると医者はたいへんあわてて、まるでのろしのように急に立ちあがって、滅法界もなく大きく黒くなって、途方もない方へ飛んで行ってしまいました。その足さきはまるで釘抜きのように尖り黒い診察鞄もけむりのように消えたのです。 ひなげしはみんなあっけにとられてぽかっとそらをながめています。 ひのきがそこで云いました。 「もう一足でおまえたちみんな頭をばりばり食われるとこだった。」 「それだっていいじゃあないの。おせっかいのひのき」 もうまっ黒に見えるひなげしどもはみんな怒って云いました。 「そうじゃあないて。おまえたちが青いけし坊主のまんまでがりがり食われてしまったらもう来年はここへは草が生えるだけ、それに第一スターになりたいなんておまえたち、スターて何だか知りもしない癖に。スターというのはな、本当は天井のお星さまのことなんだ。そらあすこへもうお出になっている。もすこしたてばそらいちめんにおでましだ。そうそうオールスターキャストというだろう。オールスターキャストというのがつまりそれだ。つまり双子星座様は双子星座様のところにレオーノ様はレオーノ様のところに、ちゃんと定まった場所でめいめいのきまった光りようをなさるのがオールスターキャスト、な、ところがありがたいもんでスターになりたいなりたいと云っているおまえたちがそのままそっくりスターでな、おまけにオールスターキャストだということになってある。それはこうだ。聴けよ。 あめなる花をほしと云い この世の星を花という。」 「何を云ってるの。ばかひのき、けし坊主なんかになってあたしら生きていたくないわ。おまけにいまのおかしな声。悪魔のお方のとても足もとにもよりつけないわ。わあい、わあい、おせっかいの、おせっかいの、せい高ひのき」 けしはやっぱり怒っています。 けれども、もうその顔もみんなまっ黒に見えるのでした。それは雲の峯がみんな崩れて牛みたいな形になり、そらのあちこちに星がぴかぴかしだしたのです。 ひなげしは、みな、しいんとして居りました。 ひのきは、まただまって、夕がたのそらを仰ぎました。 西のそらは今はかがやきを納め、東の雲の峯はだんだん崩れて、そこからもう銀いろの一つ星もまたたき出しました。」

12/03(Sun) 20:51:49 ???「以外の物質は、みなすべて、よくこれを摂取して、脂肪若くは蛋白質となし、その体内に蓄積す。」とこう書いてあったから、農学校の畜産の、助手や又小使などは金石でないものならばどんなものでも片っ端から、持って来てほうり出したのだ。 尤もこれは豚の方では、それが生れつきなのだし、充分によくなれていたから、けしていやだとも思わなかった。却ってある夕方などは、殊に豚は自分の幸福を、感じて、天上に向いて感謝していた。というわけはその晩方、化学を習った一年生の、生徒が、自分の前に来ていかにも不思議そうにして、豚のからだを眺めて居た。豚の方でも時々は、あの小さなそら豆形の怒ったような眼をあげて、そちらをちらちら見ていたのだ。その生徒が云った。 「ずいぶん豚というものは、奇体なことになっている。水やスリッパや藁をたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる。豚のからだはまあたとえば生きた一つの触媒だ。白金と同じことなのだ。無機体では白金だし有機体では豚なのだ。考えれば考える位、これは変になることだ。」 豚はもちろん自分の名が、白金と並べられたのを聞いた。それから豚は、白金が、一匁三十円することを、よく知っていたものだから、自分のからだが二十貫で、いくらになるということも勘定がすぐ出来たのだ。豚はぴたっと耳を伏せ、眼を半分だけ閉じて、前肢をきくっと曲げながらその勘定をやったのだ。 20×1000×30=600000 実に六十万円だ。六十万円といったならそのころのフランドンあたりでは、まあ第一流の紳士なのだ。いまだってそうかも知れない。さあ第一流の紳士だもの、豚がすっかり幸福を感じ、あの頭のかげの方の鮫によく似た大きな口を、にやにや曲げてよろこんだのも、けして無理とは云われない。 ところが豚の幸福も、あまり永くは続かなかった。 それから二三日たって、そのフランドンの豚は、どさりと上から落ちて来た一かたまりのたべ物から、(大学生諸君、意志を鞏固にもち給え。いいかな。)たべ物の中から、一寸細長い白いもので、さきにみじかい毛を植えた、ごく率直に云うならば、ラクダ印の歯磨楊子、それを見たのだ。どうもいやな説教で、折角洗礼を受けた、大学生諸君にすまないが少しこらえてくれ給え。 豚は実にぎょっとした。一体、その楊子の毛をみると、自分のからだ中の毛が、風に吹かれた草のよう、ザラッザラッと鳴ったのだ。豚は実に永い間、変な顔して、眺めていたが、とうとう頭がくらくらして、いやないやな気分になった。いきなり向うの敷藁に頭を埋めてくるっと寝てしまったのだ。 晩方になり少し気分がよくなって、豚はしずかに起きあがる。気分がいいと云ったって、結局豚の気分だから、苹果のようにさくさくし、青ぞらのように光るわけではもちろんない。これ灰色の気分である。灰色にしてややつめたく、透明なるところの気分である。さればまことに豚の心もちをわかるには、豚になって見るより致し方ない。 外来ヨークシャイヤでも又黒いバアクシャイヤでも豚は決して自分が魯鈍だとか、怠惰だとかは考えない。最も想像に困難なのは、豚が自分の平らなせなかを、棒でどしゃっとやられたとき何と感ずるかということだ。さあ、日本語だろうか伊太利亜語だろうか独乙語だろうか英語だろうか。さあどう表現したらいいか。さりながら、結局は、叫び声以外わからない。カント博士と同様に全く不可知なのである。 さて豚はずんずん肥り、なんべんも寝たり起きたりした。フランドン農学校の畜産学の先生は、毎日来ては鋭い眼で、じっとその生体量を、計算しては帰って行った。 「も少しきちんと窓をしめて、室中暗くしなくては、脂がうまくかからんじゃないか。それにもうそろそろと肥育をやってもよかろうな、毎日阿麻仁を少しずつやって置いて呉れないか。」教師は若い水色の、上着の助手に斯う云った。豚はこれをすっかり聴いた。そして又大へんいやになった。楊子のときと同じだ。折角のその阿麻仁も、どうもうまく咽喉を通らなかった。これらはみんな畜産の、その教師の語気について、豚が直覚したのである。(とにかくあいつら二人は、おれにたべものはよこすが、時々まるで北極の、空のような眼をして、おれのからだをじっと見る、実に何ともたまらない、とりつきばもないようなきびしいこころで、おれのことを考えている、そのことは恐い、ああ、恐い。)豚は心に思いながら、もうたまらなくなり前の柵を、むちゃくちゃに鼻で突っ突いた。 ところが、丁度その豚の、殺される前の月になって、一つの布告がその国の、王から発令されていた。 それは家畜撲殺同意調印法といい、誰でも、家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡承諾書を受け取ること、又その承諾証書には家畜の調印を要すると、こう云う布告だったのだ。 さあそこでその頃は、牛でも馬でも、もうみんな、殺される前の日には、主人から無理に強いられて、証文にペタリと印を押したもんだ。ごくとしよりの馬などは、わざわざ蹄鉄をはずされて、ぼろぼろなみだをこぼしながら、その大きな判をぱたっと証書に押したのだ。 フランドンのヨークシャイヤも又活版刷りに出来ているその死亡証書を見た。見たというのは、或る日のこと、フランドン農学校の校長が、大きな黄色の紙を持ち、豚のところにやって来た。豚は語学も余程進んでいたのだし、又実際豚の舌は柔らかで素質も充分あったのでごく流暢な人間語で、しずかに校長に挨拶した。 「校長さん、いいお天気でございます。」 校長はその黄色な証書をだまって小わきにはさんだまま、ポケットに手を入れて、にがわらいして斯う云った。 「うんまあ、天気はいいね。」 豚は何だか、この語が、耳にはいって、それから咽喉につかえたのだ。おまけに校長がじろじろと豚のからだを見ることは全くあの畜産の、教師とおんなじことなのだ。 豚はかなしく耳を伏せた。そしてこわごわ斯う云った。 「私はどうも、このごろは、気がふさいで仕方ありません。」 校長は又にがわらいを、しながら豚に斯う云った。 「ふん。気がふさぐ。そうかい。もう世の中がいやになったかい。そういうわけでもないのかい。」豚があんまり陰気な顔をしたものだから校長は急いで取り消しました。 それから農学校長と、豚とはしばらくしいんとしてにらみ合ったまま立っていた。ただ一言も云わないでじいっと立って居ったのだ。そのうちにとうとう校長は今日は証書はあきらめて、 「とにかくよくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。」例の黄いろな大きな証書を小わきにかいこんだまま、向うの方へ行ってしまう。 豚はそのあとで、何べんも、校長の今の苦笑やいかにも底意のある語を、繰り返し繰り返しして見て、身ぶるいしながらひとりごとした。 『とにかくよくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。』一体これはどう云う事か。ああつらいつらい。豚は斯う考えて、まるであの梯形の、頭も割れるように思った。おまけにその晩は強いふぶきで、外では風がすさまじく、乾いたカサカサした雪のかけらが、小屋のすきまから吹きこんで豚のたべものの余りも、雪でまっ白になったのだ。 ところが次の日のこと、畜産学の教師が又やって来て例の、水色の上着を着た、顔の赤い助手といつものするどい眼付して、じっと豚の頭から、耳から背中から尻尾まで、まるでまるで食い込むように眺めてから、尖った指を一本立てて、 「毎日阿麻仁をやってあるかね。」 「やってあります。」 「そうだろう。もう明日だって明後日だって、いいんだから。早く承諾書をとれぁいいんだ。どうしたんだろう、昨日校長は、たしかに証書をわきに挟んでこっちの方へ来たんだが。」 「はい、お入りのようでした。」 「それではもうできてるかしら。出来ればすぐよこす筈だがね。」 「はあ。」 「も少し室をくらくして、置いたらどうだろうか。それからやる前の日には、なんにも飼料をやらんでくれ。」 「はあ、きっとそう致します。」 畜産の教師は鋭い目で、もう一遍じいっと豚を見てから、それから室を出て行った。 そのあとの豚の煩悶さ、(承諾書というのは、何の承諾書だろう何を一体しろと云うのだ、やる前の日には、なんにも飼料をやっちゃいけない、やる前の日って何だろう。一体何をされるんだろう。どこか遠くへ売られるのか。ああこれはつらいつらい。)豚の頭の割れそうな、ことはこの日も同じだ。その晩豚はあんまりに神経が興奮し過ぎてよく睡ることができなかった。ところが次の朝になって、やっと太陽が登った頃、寄宿舎の生徒が三人、げたげた笑って小屋へ来た。そして一晩睡らないで、頭のしんしん痛む豚に、又もや厭な会話を聞かせたのだ。 「いつだろうなあ、早く見たいなあ。」 「僕は見たくないよ。」 「早いといいなあ、囲って置いた葱だって、あんまり永いと凍っちまう。」 「馬鈴薯もしまってあるだろう。」 「しまってあるよ。三斗しまってある。とても僕たちだけで食べられるもんか。」 「今朝はずいぶん冷たいねえ。」一人が白い息を手に吹きかけながら斯う云いました。 「豚のやつは暖かそうだ。」一人が斯う答えたら三人共どっとふき出しました。 「豚のやつは脂肪でできた、厚さ一寸の外套を着てるんだもの、暖かいさ。」 「暖かそうだよ。どうだ。湯気さえほやほやと立っているよ。」 豚はあんまり悲しくて、辛くてよろよろしてしまう。 「早くやっちまえばいいな。」 三人はつぶやきながら小屋を出た。そのあとの豚の苦しさ、(見たい、見たくない、早いといい、葱が凍る、馬鈴薯三斗、食いきれない。厚さ一寸の脂肪の外套、おお恐い、ひとのからだをまるで観透してるおお恐い。恐い。けれども一体おれと葱と、何の関係があるだろう。ああつらいなあ。)その煩悶の最中に校長が又やって来た。入口でばたばた雪を落して、それから例のあいまいな苦笑をしながら前に立つ。 「どうだい。今日は気分がいいかい。」 「はい、ありがとうございます。」 「いいのかい。大へん結構だ。たべ物は美味しいかい。」 「ありがとうございます。大へんに結構でございます。」 「そうかい。それはいいね、ところで実は今日はお前と、内内相談に来たのだがね、どうだ頭ははっきりかい。」 「はあ。」豚は声がかすれてしまう。 「実はね、この世界に生きてるものは、みんな死ななけぁいかんのだ。実際もうどんなもんでも死ぬんだよ。人間の中の貴族でも、金持でも、又私のような、中産階級でも、それからごくつまらない乞食でもね。」 「はあ、」豚は声が咽喉につまって、はっきり返事ができなかった。 「また人間でない動物でもね、たとえば馬でも、牛でも、鶏でも、なまずでも、バクテリヤでも、みんな死ななけぁいかんのだ。蜉蝣のごときはあしたに生れ、夕に死する、ただ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと死ぬのにきまってる。」 「はあ。」豚は声がかすれて、返事もなにもできなかった。 「そこで実は相談だがね、私たちの学校では、お前を今日まで養って来た。大したこともなかったが、学校としては出来るだけ、ずいぶん大事にしたはずだ。お前たちの仲間もあちこちに、ずいぶんあるし又私も、まあよく知っているのだが、でそう云っちゃ可笑しいが、まあ私の処ぐらい、待遇のよい処はない。」 「はあ。」豚は返事しようと思ったが、その前にたべたものが、みんな咽喉へつかえててどうしても声が出て来なかった。 「でね、実は相談だがね、お前がもしも少しでも、そんなようなことが、ありがたいと云う気がしたら、ほんの小さなたのみだが承知をしては貰えまいか。」 「はあ。」豚は声がかすれて、返事がどうしてもできなかった。 「それはほんの小さなことだ。ここに斯う云う紙がある、この紙に斯う書いてある。死亡承諾書、私儀永々御恩顧の次第に有之候儘、御都合により、何時にても死亡仕るべく候年月日フランドン畜舎内、ヨークシャイヤ、フランドン農学校長殿 とこれだけのことだがね、」校長はもう云い出したので、一瀉千里にまくしかけた。 「つまりお前はどうせ死ななけぁいかないからその死ぬときはもう潔く、いつでも死にますと斯う云うことで、一向何でもないことさ。死ななくてもいいうちは、一向死ぬことも要らないよ。ここの処へただちょっとお前の前肢の爪印を、一つ押しておいて貰いたい。それだけのことだ。」 豚は眉を寄せて、つきつけられた証書を、じっとしばらく眺めていた。校長の云う通りなら、何でもないがつくづくと証書の文句を読んで見ると、まったく大へんに恐かった。とうとう豚はこらえかねてまるで泣声でこう云った。 「何時にてもということは、今日でもということですか。」 校長はぎくっとしたが気をとりなおしてこう云った。 「まあそうだ。けれども今日だなんて、そんなことは決してないよ。」 「でも明日でもというんでしょう。」 「さあ、明日なんていうよう、そんな急でもないだろう。いつでも、いつかというような、ごくあいまいなことなんだ。」 「死亡をするということは私が一人で死ぬのですか。」豚は又金切声で斯うきいた。 「うん、すっかりそうでもないな。」 「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」豚は泣いて叫んだ。 「いやかい。それでは仕方ない。お前もあんまり恩知らずだ。犬猫にさえ劣ったやつだ。」校長はぷんぷん怒り、顔をまっ赤にしてしまい証書をポケットに手早くしまい、大股に小屋を出て行った。 「どうせ犬猫なんかには、はじめから劣っていますよう。わあ」豚はあんまり口惜しさや、悲しさが一時にこみあげて、もうあらんかぎり泣きだした。けれども半日ほど泣いたら、二晩も眠らなかった疲れが、一ぺんにどっと出て来たのでつい泣きながら寝込んでしまう。その睡りの中でも豚は、何べんも何べんもおびえ、手足をぶるっと動かした。 ところがその次の日のことだ。あの畜産の担任が、助手を連れて又やって来た。そして例のたまらない、目付きで豚をながめてから、大へん機嫌の悪い顔で助手に向ってこう云った。 「どうしたんだい。すてきに肉が落ちたじゃないか。これじゃまるきり話にならん。百姓のうちで飼ったってこれ位にはできるんだ。一体どうしたてんだろう。心当りがつかないかい。頬肉なんかあんまり減った。おまけにショウルダアだって、こんなに薄くちゃなってない。品評会へも出せぁしない。一体どうしたてんだろう。」 助手は唇へ指をあて、しばらくじっと考えて、それからぼんやり返事した。 「さあ、昨日の午后に校長が、おいでになっただけでした。それだけだったと思います。」 畜産の教師は飛び上る。 「校長? そうかい。校長だ。きっと承諾書を取ろうとして、すてきなぶまをやったんだ。おじけさせちゃったんだな。それでこいつはぐるぐるして昨夜一晩寝ないんだな。まずいことになったなあ。おまけにきっと承諾書も、取り損ねたにちがいない。まずいことになったなあ。」 教師は実に口惜しそうに、しばらくキリキリ歯を鳴らし腕を組んでから又云った。 「えい、仕方ない。窓をすっかり明けて呉れ。それから外へ連れ出して、少し運動させるんだ。む茶くちゃにたたいたり走らしたりしちゃいけないぞ。日の照らない処を、厩舎の陰のあたりの、雪のない草はらを、そろそろ連れて歩いて呉れ。一回十五分位、それから飼料をやらないで少し腹を空かせてやれ。すっかり気分が直ったらキャベジのいい処を少しやれ。それからだんだん直ったら今まで通りにすればいい。まるで一ヶ月の肥育を、一晩で台なしにしちまった。いいかい。」 「承知いたしました。」 教師は教員室へ帰り豚はもうすっかり気落ちして、ぼんやりと向うの壁を見る、動きも叫びもしたくない。ところへ助手が細い鞭を持って笑って入って来た。助手は囲いの出口をあけごく叮寧に云ったのだ。」

12/03(Sun) 20:52:11 ???「「少しご散歩はいかがです。今日は大へんよく晴れて、風もしずかでございます。それではお供いたしましょう、」ピシッと鞭がせなかに来る、全くこいつはたまらない、ヨークシャイヤは仕方なくのそのそ畜舎を出たけれど胸は悲しさでいっぱいで、歩けば裂けるようだった。助手はのんきにうしろから、チッペラリーの口笛を吹いてゆっくりやって来る。鞭もぶらぶらふっている。 全体何がチッペラリーだ。こんなにわたしはかなしいのにと豚は度々口をまげる。時々は 「ええもう少し左の方を、お歩きなさいましては、いかがでございますか。」なんて、口ばかりうまいことを云いながら、ピシッと鞭を呉れたのだ。(この世はほんとうにつらいつらい、本当に苦の世界なのだ。)こてっとぶたれて散歩しながら豚はつくづく考えた。 「さあいかがです、そろそろお休みなさいませ。」助手は又一つピシッとやる。ウルトラ大学生諸君、こんな散歩が何で面白いだろう。からだの為も何もあったもんじゃない。 豚は仕方なく又畜舎に戻りごろっと藁に横になる。キャベジの青いいい所を助手はわずか持って来た。豚は喰べたくなかったが助手が向うに直立して何とも云えない恐い眼で上からじっと待っている、ほんとうにもう仕方なく、少しそれを噛じるふりをしたら助手はやっと安心して一つ「ふん。」と笑ってからチッペラリーの口笛を又吹きながら出て行った。いつか窓がすっかり明け放してあったので豚は寒くて耐らなかった。 こんな工合にヨークシャイヤは一日思いに沈みながら三日を夢のように送る。 四日目に又畜産の、教師が助手とやって来た。ちらっと豚を一眼見て、手を振りながら助手に云う。 「いけないいけない。君はなぜ、僕の云った通りしなかった。」 「いいえ、窓もすっかり明けましたし、キャベジのいいのもやりました。運動も毎日叮寧に、十五分ずつやらしています。」 「そうかね、そんなにまでもしてやって、やっぱりうまくいかないかね、じゃもうこいつは瘠せる一方なんだ。神経性営養不良なんだ。わきからどうも出来やしない。あんまり骨と皮だけに、ならないうちにきめなくちゃ、どこまで行くかわからない。おい。窓をみなしめて呉れ。そして肥育器を使うとしよう、飼料をどしどし押し込んで呉れ。麦のふすまを二升とね、阿麻仁を二合、それから玉蜀黍の粉を、五合を水でこねて、団子にこさえて一日に、二度か三度ぐらいに分けて、肥育器にかけて呉れ給え。肥育器はあったろう。」 「はい、ございます。」 「こいつは縛って置き給え。いや縛る前に早く承諾書をとらなくちゃ。校長もさっぱり拙いなぁ。」 畜産の教師は大急ぎで、教舎の方へ走って行き、助手もあとから出て行った。 間もなく農学校長が、大へんあわててやって来た。豚は身体の置き場もなく鼻で敷藁を掘ったのだ。 「おおい、いよいよ急がなきゃならないよ。先頃の死亡承諾書ね、あいつへ今日はどうしても、爪判を押して貰いたい。別に大した事じゃない。押して呉れ。」 「いやですいやです。」豚は泣く。 「厭だ? おい。あんまり勝手を云うんじゃない、その身体は全体みんな、学校のお陰で出来たんだ。これからだって毎日麦のふすま二升阿麻仁二合と玉蜀黍の、粉五合ずつやるんだぞ、さあいい加減に判をつけ、さあつかないか。」 なるほど斯う怒り出して見ると、校長なんというものは、実際恐いものなんだ。豚はすっかりおびえて了い、 「つきます。つきます。」と、かすれた声で云ったのだ。 「よろしい、では。」と校長は、やっとのことに機嫌を直し、手早くあの死亡承諾書の、黄いろな紙をとり出して、豚の眼の前にひろげたのだ。 「どこへつけばいいんですか。」豚は泣きながら尋ねた。 「ここへ。おまえの名前の下へ。」校長はじっと眼鏡越しに、豚の小さな眼を見て云った。豚は口をびくびく横に曲げ、短い前の右肢を、きくっと挙げてそれからピタリと印をおす。 「うはん。よろしい。これでいい。」校長は紙を引っぱって、よくその判を調べてから、機嫌を直してこう云った。戸口で待っていたらしくあの意地わるい畜産の教師がいきなりやって来た。 「いかがです。うまく行きましたか。」 「うん。まあできた。ではこれは、あなたにあげて置きますから。ええ、肥育は何日ぐらいかね、」 「さあいずれ模様を見まして、鶏やあひるなどですと、きっと間違いなく肥りますが、斯う云う神経過敏な豚は、或は強制肥育では甘く行かないかも知れません。」 「そうか。なるほど。とにかくしっかりやり給え。」 そして校長は帰って行った。今度は助手が変てこな、ねじのついたズックの管と、何かのバケツを持って来た。畜産の教師は云いながら、そのバケツの中のものを、一寸つまんで調べて見た。 「そいじゃ豚を縛って呉れ。」助手はマニラロープを持って、囲いの中に飛び込んだ。豚はばたばた暴れたがとうとう囲いの隅にある、二つの鉄の環に右側の、足を二本共縛られた。 「よろしい、それではこの端を、咽喉へ入れてやって呉れ。」畜産の教師は云いながら、ズックの管を助手に渡す。 「さあ口をお開きなさい。さあ口を。」助手はしずかに云ったのだが、豚は堅く歯を食いしばり、どうしても口をあかなかった。 「仕方ない。こいつを噛ましてやって呉れ。」短い鋼の管を出す。 助手はぎしぎしその管を豚の歯の間にねじ込んだ。豚はもうあらんかぎり、怒鳴ったり泣いたりしたが、とうとう管をはめられて、咽喉の底だけで泣いていた。助手はその鋼の管の間から、ズックの管を豚の咽喉まで押し込んだ。 「それでよろしい。ではやろう。」教師はバケツの中のものを、ズック管の端の漏斗に移して、それから変な螺旋を使い食物を豚の胃に送る。豚はいくら呑むまいとしても、どうしても咽喉で負けてしまい、その練ったものが胃の中に、入ってだんだん腹が重くなる。これが強制肥育だった。 豚の気持ちの悪いこと、まるで夢中で一日泣いた。 次の日教師が又来て見た。 「うまい、肥った。効果がある。これから毎日小使と、二人で二度ずつやって呉れ。」 こんな工合でそれから七日というものは、豚はまるきり外で日が照っているやら、風が吹いてるやら見当もつかず、ただ胃が無暗に重苦しくそれからいやに頬や肩が、ふくらんで来ておしまいは息をするのもつらいくらい、生徒も代る代る来て、何かいろいろ云っていた。 あるときは生徒が十人ほどやって来てがやがや斯う云った。 「ずいぶん大きくなったなあ、何貫ぐらいあるだろう。」 「さあ先生なら一目見て、何百目まで云うんだが、おれたちじゃちょっとわからない。」 「比重がわからないからなあ。」 「比重はわかるさ比重なら、大抵水と同じだろう。」 「どうしてそれがわかるんだい。」 「だって大抵そうだろう。もしもこいつを水に入れたら、きっと沈みも浮びもしない。」 「いいやたしかに沈まない、きっと浮ぶにきまってる。」 「それは脂肪のためだろう、けれど豚にも骨はある。それから肉もあるんだから、たぶん比重は一ぐらいだ。」 「比重をそんなら一として、こいつは何斗あるだろう。」 「五斗五升はあるだろう。」 「いいや五斗五升などじゃない。少く見ても八斗ある。」 「八斗なんかじゃきかないよ。たしかに九斗はあるだろう。」 「まあ、七斗としよう。七斗なら水一斗が五貫だから、こいつは丁度三十五貫。」 「三十五貫はあるな。」 こんなはなしを聞きながら、どんなに豚は泣いたろう。なんでもこれはあんまりひどい。ひとのからだを枡ではかる。七斗だの八斗だのという。 そうして丁度七日目に又あの教師が助手と二人、並んで豚の前に立つ。 「もういいようだ。丁度いい。この位まで肥ったらまあ極度だろう。この辺だ。あんまり肥育をやり過ぎて、一度病気にかかってもまたあとまわりになるだけだ。丁度あしたがいいだろう。今日はもう飼をやらんでくれ。それから小使と二人してからだをすっかり洗って呉れ。敷藁も新らしくしてね。いいか。」 「承知いたしました。」 豚はこれらの問答を、もう全身の勢力で耳をすまして聴いて居た。(いよいよ明日だ、それがあの、証書の死亡ということか。いよいよ明日だ、明日なんだ。一体どんな事だろう、つらいつらい。)あんまり豚はつらいので、頭をゴツゴツ板へぶっつけた。 そのひるすぎに又助手が、小使と二人やって来た。そしてあの二つの鉄環から、豚の足を解いて助手が云う。 「いかがです、今日は一つ、お風呂をお召しなさいませ。すっかりお仕度ができて居ます。」 豚がまだ承知とも、何とも云わないうちに、鞭がピシッとやって来た。豚は仕方なく歩き出したが、あんまり肥ってしまったので、もううごくことの大儀なこと、三足で息がはあはあした。 そこへ鞭がピシッと来た。豚はまるで潰れそうになり、それでもようよう畜舎の外まで出たら、そこに大きな木の鉢に湯が入ったのが置いてあった。 「さあ、この中にお入りなさい。」助手が又一つパチッとやる。豚はもうやっとのことで、ころげ込むようにしてその高い縁を越えて、鉢の中へ入ったのだ。 小使が大きなブラッシをかけて、豚のからだをきれいに洗う。そのブラッシをチラッと見て、豚は馬鹿のように叫んだ。というわけはそのブラッシが、やっぱり豚の毛でできた。豚がわめいているうちにからだがすっかり白くなる。 「さあ参りましょう。」助手が又、一つピシッと豚をやる。 豚は仕方なく外に出る。寒さがぞくぞくからだに浸みる。豚はとうとうくしゃみをする。 「風邪を引きますぜ、こいつは。」小使が眼を大きくして云った。 「いいだろうさ。腐りがたくて。」助手が苦笑して云った。 豚が又畜舎へ入ったら、敷藁がきれいに代えてあった。寒さはからだを刺すようだ。それに今朝からまだ何も食べないので、胃ももうからになったらしく、あらしのようにゴウゴウ鳴った。 豚はもう眼もあけず頭がしんしん鳴り出した。ヨークシャイヤの一生の間のいろいろな恐ろしい記憶が、まるきり廻り燈籠のように、明るくなったり暗くなったり、頭の中を過ぎて行く。さまざまな恐ろしい物音を聞く。それは豚の外で鳴ってるのか、あるいは豚の中で鳴ってるのか、それさえわからなくなった。そのうちもういつか朝になり教舎の方で鐘が鳴る。間もなくがやがや声がして、生徒が沢山やって来た。助手もやっぱりやって来た。 「外でやろうか。外の方がやはりいいようだ。連れ出して呉れ。おい。連れ出してあんまりギーギー云わせないようにね。まずくなるから。」 畜産の教師がいつの間にか、ふだんとちがった茶いろなガウンのようなものを着て入口の戸に立っていた。 助手がまじめに入って来る。 「いかがですか。天気も大変いいようです。今日少しご散歩なすっては。」又一つ鞭をピチッとあてた。豚は全く異議もなく、はあはあ頬をふくらせて、ぐたっぐたっと歩き出す。前や横を生徒たちの、二本ずつの黒い足が夢のように動いていた。 俄かにカッと明るくなった。外では雪に日が照って豚はまぶしさに眼を細くし、やっぱりぐたぐた歩いて行った。 全体どこへ行くのやら、向うに一本の杉がある、ちらっと頭をあげたとき、俄かに豚はピカッという、はげしい白光のようなものが花火のように眼の前でちらばるのを見た。そいつから億百千の赤い火が水のように横に流れ出した。天上の方ではキーンという鋭い音が鳴っている。横の方ではごうごう水が湧いている。さあそれからあとのことならば、もう私は知らないのだ。とにかく豚のすぐよこにあの畜産の、教師が、大きな鉄槌を持ち、息をはあはあ吐きながら、少し青ざめて立っている。又豚はその足もとで、たしかにクンクンと二つだけ、鼻を鳴らしてじっとうごかなくなっていた。 生徒らはもう大活動、豚の身体を洗った桶に、も一度新らしく湯がくまれ、生徒らはみな上着の袖を、高くまくって待っていた。 助手が大きな小刀で豚の咽喉をザクッと刺しました。 一体この物語は、あんまり哀れ過ぎるのだ。もうこのあとはやめにしよう。とにかく豚はすぐあとで、からだを八つに分解されて、厩舎のうしろに積みあげられた。雪の中に一晩漬けられた。 さて大学生諸君、その晩空はよく晴れて、金牛宮もきらめき出し、二十四日の銀の角、つめたく光る弦月が、青じろい水銀のひかりを、そこらの雲にそそぎかけ、そのつめたい白い雪の中、戦場の墓地のように積みあげられた雪の底に、豚はきれいに洗われて、八きれになって埋まった。月はだまって過ぎて行く。夜はいよいよ冴えたのだ。」

12/03(Sun) 21:14:10 ???「霧がじめじめ降っていた。 諒安は、その霧の底をひとり、険しい山谷の、刻みを渉って行きました。 沓の底を半分踏み抜いてしまいながらそのいちばん高い処からいちばん暗い深いところへまたその谷の底から霧に吸いこまれた次の峯へと一生けんめい伝って行きました。 もしもほんの少しのはり合で霧を泳いで行くことができたら一つの峯から次の巌へずいぶん雑作もなく行けるのだが私はやっぱりこの意地悪い大きな彫刻の表面に沿ってけわしい処ではからだが燃えるようになり少しの平らなところではほっと息をつきながら地面を這わなければならないと諒安は思いました。 全く峯にはまっ黒のガツガツした巌が冷たい霧を吹いてそらうそぶき折角いっしんに登って行ってもまるでよるべもなくさびしいのでした。 それから谷の深い処には細かなうすぐろい灌木がぎっしり生えて光を通すことさえも慳貪そうに見えました。 それでも諒安は次から次とそのひどい刻みをひとりわたって行きました。 何べんも何べんも霧がふっと明るくなりまたうすくらくなりました。 けれども光は淡く白く痛く、いつまでたっても夜にならないようでした。 つやつや光る竜の髯のいちめん生えた少しのなだらに来たとき諒安はからだを投げるようにしてとろとろ睡ってしまいました。 (これがお前の世界なのだよ、お前に丁度あたり前の世界なのだよ。それよりもっとほんとうはこれがお前の中の景色なのだよ。) 誰かが、或いは諒安自身が、耳の近くで何べんも斯う叫んでいました。 (そうです。そうです。そうですとも。いかにも私の景色です。私なのです。だから仕方がないのです。)諒安はうとうと斯う返事しました。 (これはこれ 惑う木立の 中ならず しのびをならう 春の道場) どこからかこんな声がはっきり聞えて来ました。諒安は眼をひらきました。霧がからだにつめたく浸み込むのでした。 全く霧は白く痛く竜の髯の青い傾斜はその中にぼんやりかすんで行きました。諒安はとっととかけ下りました。 そしてたちまち一本の灌木に足をつかまれて投げ出すように倒れました。 諒安はにが笑いをしながら起きあがりました。 いきなり険しい灌木の崖が目の前に出ました。 諒安はそのくろもじの枝にとりついてのぼりました。くろもじはかすかな匂を霧に送り霧は俄かに乳いろの柔らかなやさしいものを諒安によこしました。 諒安はよじのぼりながら笑いました。 その時霧は大へん陰気になりました。そこで諒安は霧にそのかすかな笑いを投げました。そこで霧はさっと明るくなりました。 そして諒安はとうとう一つの平らな枯草の頂上に立ちました。 そこは少し黄金いろでほっとあたたかなような気がしました。 諒安は自分のからだから少しの汗の匂いが細い糸のようになって霧の中へ騰って行くのを思いました。その汗という考から一疋の立派な黒い馬がひらっと躍り出して霧の中へ消えて行きました。 霧が俄かにゆれました。そして諒安はそらいっぱいにきんきん光って漂う琥珀の分子のようなものを見ました。それはさっと琥珀から黄金に変りまた新鮮な緑に遷ってまるで雨よりも滋く降って来るのでした。 いつか諒安の影がうすくかれ草の上に落ちていました。一きれのいいかおりがきらっと光って霧とその琥珀との浮遊の中を過ぎて行きました。 と思うと俄かにぱっとあたりが黄金に変りました。 霧が融けたのでした。太陽は磨きたての藍銅鉱のそらに液体のようにゆらめいてかかり融けのこりの霧はまぶしく蝋のように谷のあちこちに澱みます。 (ああこんなけわしいひどいところを私は渡って来たのだな。けれども何というこの立派さだろう。そしてはてな、あれは。) 諒安は眼を疑いました。そのいちめんの山谷の刻みにいちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いているのでした。その日のあたるところは銀と見え陰になるところは雪のきれと思われたのです。 (けわしくも刻むこころの峯々に いま咲きそむるマグノリアかも。)斯う云う声がどこからかはっきり聞えて来ました。諒安は心も明るくあたりを見まわしました。 すぐ向うに一本の大きなほおの木がありました。その下に二人の子供が幹を間にして立っているのでした。 (ああさっきから歌っていたのはあの子供らだ。けれどもあれはどうもただの子供らではないぞ。)諒安はよくそっちを見ました。 その子供らは羅をつけ瓔珞をかざり日光に光り、すべて断食のあけがたの夢のようでした。ところがさっきの歌はその子供らでもないようでした。それは一人の子供がさっきよりずうっと細い声でマグノリアの木の梢を見あげながら歌い出したからです。 「サンタ、マグノリア、 枝にいっぱいひかるはなんぞ。」 向う側の子が答えました。 「天に飛びたつ銀の鳩。」 こちらの子がまたうたいました。 「セント、マグノリア、 枝にいっぱいひかるはなんぞ。」 「天からおりた天の鳩。」 諒安はしずかに進んで行きました。 「マグノリアの木は寂静印です。ここはどこですか。」 「私たちにはわかりません。」一人の子がつつましく賢こそうな眼をあげながら答えました。 「そうです、マグノリアの木は寂静印です。」 強いはっきりした声が諒安のうしろでしました。諒安は急いでふり向きました。子供らと同じなりをした丁度諒安と同じくらいの人がまっすぐに立ってわらっていました。 「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は。」 「ええ、私です。またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたが感じているのですから。」 「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたの中にあるのですから。」 その人は笑いました。諒安と二人ははじめて軽く礼をしました。 「ほんとうにここは平らですね。」諒安はうしろの方のうつくしい黄金の草の高原を見ながら云いました。その人は笑いました。 「ええ、平らです、けれどもここの平らかさはけわしさに対する平らさです。ほんとうの平らさではありません。」 「そうです。それは私がけわしい山谷を渡ったから平らなのです。」 「ごらんなさい、そのけわしい山谷にいまいちめんにマグノリアが咲いています。」 「ええ、ありがとう、ですからマグノリアの木は寂静です。あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです。あのかおりは覚者たちの尊い偈を人に送ります。」 「それはみんな善です。」 「誰の善ですか。」諒安はも一度その美しい黄金の高原とけわしい山谷の刻みの中のマグノリアとを見ながらたずねました。 「覚者の善です。」その人の影は紫いろで透明に草に落ちていました。 「そうです、そしてまた私どもの善です。覚者の善は絶対です。それはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、谷の暗い密林もこの河がずうっと流れて行って氾濫をするあたりの度々の革命や饑饉や疫病やみんな覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です。」 諒安とその人と二人はまた恭しく礼をしました。」

12/05(Tue) 19:15:24 ???「縺m縺ッ縺ォ縺サ縺ク縺ィ縺。繧翫〓繧九r繧上°繧医◆繧後◎縺、縺ュ縺ェ繧峨縺p縺ョ縺翫¥繧∪縺代縺薙∴縺ヲ縺ゅ&縺阪f繧√∩縺励q縺イ繧ゅ○縺 」

12/05(Tue) 19:19:45 ???「ひとひははかなくことばをくだし ゆふべはいづちの組合にても 一車を送らんすべなどおもふ さこそはこゝろのうらぶれぬると たそがれさびしく車窓によれば 外の面は磐井の沖積層を 草火のけむりぞ青みてながる 屈撓余りに大なるときは 挫折の域にも至りぬべきを いままた怪しくせなうち熱り 胸さへ痛むはかつての病 ふたゝび来しやとひそかに経れば 芽ばえぬ柳と残りの雪の なかばはいとしくなかばはかなし あるいは二列の波ともおぼえ さらには二列の雲とも見ゆる 山なみへだてしかしこの峡に なほかもモートルとゞろにひゞき はがねのもろ歯の石噛むま下 そこにてひとびとあしたのごとく けじろき石粉をうち浴ぶらんを あしたはいづこの店にも行きて 一車をすゝめんすべをしおもふ かはたれはかなく車窓によれば 野の面かしこははや霧なく 雲のみ平らに山地に垂るゝ」

12/05(Tue) 19:20:28 ???「双子の星 一 天の川の西の岸にすぎなの胞子ほどの小さな二つの星が見えます。あれはチュンセ童子とポウセ童子という双子のお星さまの住んでいる小さな水精のお宮です。 このすきとおる二つのお宮は、まっすぐに向い合っています。夜は二人とも、きっとお宮に帰って、きちんと座り、空の星めぐりの歌に合せて、一晩銀笛を吹くのです。それがこの双子のお星様の役目でした。 ある朝、お日様がカツカツカツと厳かにお身体をゆすぶって、東から昇っておいでになった時、チュンセ童子は銀笛を下に置いてポウセ童子に申しました。 「ポウセさん。もういいでしょう。お日様もお昇りになったし、雲もまっ白に光っています。今日は西の野原の泉へ行きませんか。」 ポウセ童子が、まだ夢中で、半分眼をつぶったまま、銀笛を吹いていますので、チュンセ童子はお宮から下りて、沓をはいて、ポウセ童子のお宮の段にのぼって、もう一度云いました。 「ポウセさん。もういいでしょう。東の空はまるで白く燃えているようですし、下では小さな鳥なんかもう目をさましている様子です。今日は西の野原の泉へ行きませんか。そして、風車で霧をこしらえて、小さな虹を飛ばして遊ぼうではありませんか。」 ポウセ童子はやっと気がついて、びっくりして笛を置いて云いました。 「あ、チュンセさん。失礼いたしました。もうすっかり明るくなったんですね。僕今すぐ沓をはきますから。」 そしてポウセ童子は、白い貝殻の沓をはき、二人は連れだって空の銀の芝原を仲よく歌いながら行きました。 「お日さまの、 お通りみちを はき浄め、 ひかりをちらせ あまの白雲。 お日さまの、 お通りみちの 石かけを 深くうずめよ、あまの青雲。」 そしてもういつか空の泉に来ました。 この泉は霽れた晩には、下からはっきり見えます。天の川の西の岸から、よほど離れた処に、青い小さな星で円くかこまれてあります。底は青い小さなつぶ石でたいらにうずめられ、石の間から奇麗な水が、ころころころころ湧き出して泉の一方のふちから天の川へ小さな流れになって走って行きます。私共の世界が旱の時、瘠せてしまった夜鷹やほととぎすなどが、それをだまって見上げて、残念そうに咽喉をくびくびさせているのを時々見ることがあるではありませんか。どんな鳥でもとてもあそこまでは行けません。けれども、天の大烏の星や蠍の星や兎の星ならもちろんすぐ行けます。 「ポウセさんまずここへ滝をこしらえましょうか。」 「ええ、こしらえましょう。僕石を運びますから。」 チュンセ童子が沓をぬいで小流れの中に入り、ポウセ童子は岸から手ごろの石を集めはじめました。 今は、空は、りんごのいい匂いで一杯です。西の空に消え残った銀色のお月様が吐いたのです。 ふと野原の向うから大きな声で歌うのが聞えます。 「あまのがわの にしのきしを、 すこしはなれたそらの井戸。 みずはころろ、そこもきらら、 まわりをかこむあおいほし。 夜鷹ふくろう、ちどり、かけす、 来よとすれども、できもせぬ。」 「あ、大烏の星だ。」童子たちは一緒に云いました。 もう空のすすきをざわざわと分けて大烏が向うから肩をふって、のっしのっしと大股にやって参りました。まっくろなびろうどのマントを着て、まっくろなびろうどの股引をはいて居ります。 大烏は二人を見て立ちどまって丁寧にお辞儀しました。 「いや、今日は。チュンセ童子とポウセ童子。よく晴れて結構ですな。しかしどうも晴れると咽喉が乾いていけません。それに昨夜は少し高く歌い過ぎましてな。ご免下さい。」と云いながら大烏は泉に頭をつき込みました。 「どうか構わないで沢山呑んで下さい。」とポウセ童子が云いました。 大烏は息もつかずに三分ばかり咽喉を鳴らして呑んでからやっと顔をあげて一寸眼をパチパチ云わせてそれからブルルッと頭をふって水を払いました。 その時向うから暴い声の歌が又聞えて参りました。大烏は見る見る顔色を変えて身体を烈しくふるわせました。 「みなみのそらの、赤眼のさそり 毒ある鉤と 大きなはさみを 知らない者は 阿呆鳥。」 そこで大烏が怒って云いました。 「蠍星です。畜生。阿呆鳥だなんて人をあてつけてやがる。見ろ。ここへ来たらその赤眼を抜いてやるぞ。」 チュンセ童子が 「大烏さん。それはいけないでしょう。王様がご存じですよ。」という間もなくもう赤い眼の蠍星が向うから二つの大きな鋏をゆらゆら動かし長い尾をカラカラ引いてやって来るのです。その音はしずかな天の野原中にひびきました。 大烏はもう怒ってぶるぶる顫えて今にも飛びかかりそうです。双子の星は一生けん命手まねでそれを押えました。 蠍は大烏を尻眼にかけてもう泉のふち迄這って来て云いました。 「ああ、どうも咽喉が乾いてしまった。やあ双子さん。今日は。ご免なさい。少し水を呑んでやろうかな。はてな、どうもこの水は変に土臭いぞ。どこかのまっ黒な馬鹿ァが頭をつっ込んだと見える。えい。仕方ない。我慢してやれ。」 そして蠍は十分ばかりごくりごくりと水を呑みました。その間も、いかにも大烏を馬鹿にする様に、毒の鉤のついた尾をそちらにパタパタ動かすのです。 とうとう大烏は、我慢し兼ねて羽をパッと開いて叫びました。 「こら蠍。貴様はさっきから阿呆鳥だの何だのと俺の悪口を云ったな。早くあやまったらどうだ。」 蠍がやっと水から頭をはなして、赤い眼をまるで火が燃えるように動かしました。 「へん。誰か何か云ってるぜ。赤いお方だろうか。鼠色のお方だろうか。一つ鉤をお見舞しますかな。」 大烏はかっとして思わず飛びあがって叫びました。 「何を。生意気な。空の向う側へまっさかさまに落してやるぞ。」 蠍も怒って大きなからだをすばやくひねって尾の鉤を空に突き上げました。大烏は飛びあがってそれを避け今度はくちばしを槍のようにしてまっすぐに蠍の頭をめがけて落ちて来ました。 チュンセ童子もポウセ童子もとめるすきがありません。蠍は頭に深い傷を受け、大烏は胸を毒の鉤でさされて、両方ともウンとうなったまま重なり合って気絶してしまいました。 蠍の血がどくどく空に流れて、いやな赤い雲になりました。 チュンセ童子が急いで沓をはいて、申しました。 「さあ大変だ。大烏には毒がはいったのだ。早く吸いとってやらないといけない。ポウセさん。大烏をしっかり押えていて下さいませんか。」 ポウセ童子も沓をはいてしまっていそいで大烏のうしろにまわってしっかり押えました。チュンセ童子が大烏の胸の傷口に口をあてました。ポウセ童子が申しました。 「チュンセさん。毒を呑んではいけませんよ。すぐ吐き出してしまわないといけませんよ。」 チュンセ童子が黙って傷口から六遍ほど毒のある血を吸ってはき出しました。すると大烏がやっと気がついて、うすく目を開いて申しました。 「あ、どうも済みません。私はどうしたのですかな。たしか野郎をし止めたのだが。」 チュンセ童子が申しました。 「早く流れでその傷口をお洗いなさい。歩けますか。」 大烏はよろよろ立ちあがって蠍を見て又身体をふるわせて云いました。 「畜生。空の毒虫め。空で死んだのを有り難いと思え。」 二人は大烏を急いで流れへ連れて行きました。そして奇麗に傷口を洗ってやって、その上、傷口へ二三度香しい息を吹きかけてやって云いました。 「さあ、ゆるゆる歩いて明るいうちに早くおうちへお帰りなさい。これからこんな事をしてはいけません。王様はみんなご存じですよ。」 大烏はすっかり悄気て翼を力なく垂れ、何遍もお辞儀をして 「ありがとうございます。ありがとうございます。これからは気をつけます。」と云いながら脚を引きずって銀のすすきの野原を向うへ行ってしまいました。 二人は蠍を調べて見ました。頭の傷はかなり深かったのですがもう血がとまっています。二人は泉の水をすくって、傷口にかけて奇麗に洗いました。そして交る交るふっふっと息をそこへ吹き込みました。 お日様が丁度空のまん中においでになった頃蠍はかすかに目を開きました。 ポウセ童子が汗をふきながら申しました。 「どうですか気分は。」 蠍がゆるく呟きました。 「大烏めは死にましたか。」 チュンセ童子が少し怒って云いました。 「まだそんな事を云うんですか。あなたこそ死ぬ所でした。さあ早くうちへ帰る様に元気をお出しなさい。明るいうちに帰らなかったら大変ですよ。」 蠍が目を変に光らして云いました。 「双子さん。どうか私を送って下さいませんか。お世話の序です。」 ポウセ童子が云いました。 「送ってあげましょう。さあおつかまりなさい。」 チュンセ童子も申しました。 「そら、僕にもおつかまりなさい。早くしないと明るいうちに家に行けません。そうすると今夜の星めぐりが出来なくなります。」 蠍は二人につかまってよろよろ歩き出しました。二人の肩の骨は曲りそうになりました。実に蠍のからだは重いのです。大きさから云っても童子たちの十倍位はあるのです。 けれども二人は顔をまっ赤にしてこらえて一足ずつ歩きました。 蠍は尾をギーギーと石ころの上に引きずっていやな息をはあはあ吐いてよろりよろりとあるくのです。一時間に十町とも進みません。 もう童子たちは余り重い上に蠍の手がひどく食い込んで痛いので、肩や胸が自分のものかどうかもわからなくなりました。 空の野原はきらきら白く光っています。七つの小流れと十の芝原とを過ぎました。 童子たちは頭がぐるぐるしてもう自分が歩いているのか立っているのかわかりませんでした。それでも二人は黙ってやはり一足ずつ進みました。 さっきから六時間もたっています。蠍の家まではまだ一時間半はかかりましょう。もうお日様が西の山にお入りになる所です。 「もう少し急げませんか。私らも、もう一時間半のうちにおうちへ帰らないといけないんだから。けれども苦しいんですか。大変痛みますか。」とポウセ童子が申しました。 「へい。も少しでございます。どうかお慈悲でございます。」と蠍が泣きました。 「ええ。も少しです。傷は痛みますか。」とチュンセ童子が肩の骨の砕けそうなのをじっとこらえて申しました。 お日様がもうサッサッサッと三遍厳かにゆらいで西の山にお沈みになりました。 「もう僕らは帰らないといけない。困ったな。ここらの人は誰か居ませんか。」ポウセ童子が叫びました。天の野原はしんとして返事もありません。 西の雲はまっかにかがやき蠍の眼も赤く悲しく光りました。光の強い星たちはもう銀の鎧を着て歌いながら遠くの空へ現われた様子です。 「一つ星めつけた。長者になあれ。」下で一人の子供がそっちを見上げて叫んでいます。 チュンセ童子が 「蠍さん。も少しです。急げませんか。疲れましたか。」と云いました。 蠍が哀れな声で、 「どうもすっかり疲れてしまいました。どうか少しですからお許し下さい。」と云います。 「星さん星さん一つの星で出ぬもんだ。 千も万もででるもんだ。」 下で別の子供が叫んでいます。もう西の山はまっ黒です。あちこち星がちらちら現われました。 チュンセ童子は背中がまがってまるで潰れそうになりながら云いました。 「蠍さん。もう私らは今夜は時間に遅れました。きっと王様に叱られます。事によったら流されるかも知れません。けれどもあなたがふだんの所に居なかったらそれこそ大変です。」 ポウセ童子が 「私はもう疲れて死にそうです。蠍さん。もっと元気を出して早く帰って行って下さい。」 と云いながらとうとうバッタリ倒れてしまいました。蠍は泣いて云いました。 「どうか許して下さい。私は馬鹿です。あなた方の髪の毛一本にも及びません。きっと心を改めてこのおわびは致します。きっといたします。」 この時水色の烈しい光の外套を着た稲妻が、向うからギラッとひらめいて飛んで来ました。そして童子たちに手をついて申しました。 「王様のご命でお迎いに参りました。さあご一緒に私のマントへおつかまり下さい。もうすぐお宮へお連れ申します。王様はどう云う訳かさっきからひどくお悦びでございます。それから、蠍。お前は今まで憎まれ者だったな。さあこの薬を王様から下すったんだ。飲め。」 童子たちは叫びました。 「それでは蠍さん。さよなら。早く薬をのんで下さい。それからさっきの約束ですよ。きっとですよ。さよなら。」 そして二人は一緒に稲妻のマントにつかまりました。蠍が沢山の手をついて平伏して薬をのみそれから丁寧にお辞儀をします。 稲妻がぎらぎらっと光ったと思うともういつかさっきの泉のそばに立って居りました。そして申しました。 「さあ、すっかりおからだをお洗いなさい。王様から新らしい着物と沓を下さいました。まだ十五分間があります。」 双子のお星様たちは悦んでつめたい水晶のような流れを浴び、匂のいい青光りのうすものの衣を着け新らしい白光りの沓をはきました。するともう身体の痛みもつかれも一遍にとれてすがすがしてしまいました。 「さあ、参りましょう。」と稲妻が申しました。そして二人が又そのマントに取りつきますと紫色の光が一遍ぱっとひらめいて童子たちはもう自分のお宮の前に居ました。稲妻はもう見えません。 「チュンセ童子、それでは支度をしましょう。」 「ポウセ童子、それでは支度をしましょう。」 二人はお宮にのぼり、向き合ってきちんと座り銀笛をとりあげました。 丁度あちこちで星めぐりの歌がはじまりました。 「あかいめだまの さそり ひろげた鷲の つばさ あおいめだまの 小いぬ、 ひかりのへびの とぐろ。 オリオンは高く うたい つゆとしもとを おとす、 アンドロメダの くもは さかなのくちの かたち。 大ぐまのあしを きたに 五つのばした ところ。 小熊のひたいの うえは そらのめぐりの めあて。」 双子のお星様たちは笛を吹きはじめました。」

12/05(Tue) 19:20:40 ???「双子の星 二 (天の川の西の岸に小さな小さな二つの青い星が見えます。あれはチュンセ童子とポウセ童子という双子のお星様でめいめい水精でできた小さなお宮に住んでいます。 二つのお宮はまっすぐに向い合っています。夜は二人ともきっとお宮に帰ってきちんと座ってそらの星めぐりの歌に合せて一晩銀笛を吹くのです。それがこの双子のお星様たちの役目でした。) ある晩空の下の方が黒い雲で一杯に埋まり雲の下では雨がザアッザアッと降って居りました。それでも二人はいつものようにめいめいのお宮にきちんと座って向いあって笛を吹いていますと突然大きな乱暴ものの彗星がやって来て二人のお宮にフッフッと青白い光の霧をふきかけて云いました。 「おい、双子の青星。すこし旅に出て見ないか。今夜なんかそんなにしなくてもいいんだ。いくら難船の船乗りが星で方角を定めようたって雲で見えはしない。天文台の星の係りも今日は休みであくびをしてる。いつも星を見ているあの生意気な小学生も雨ですっかりへこたれてうちの中で絵なんか書いているんだ。お前たちが笛なんか吹かなくたって星はみんなくるくるまわるさ。どうだ。一寸旅へ出よう。あしたの晩方までにはここに連れて来てやるぜ。」 チュンセ童子が一寸笛をやめて云いました。 「それは曇った日は笛をやめてもいいと王様からお許しはあるとも。私らはただ面白くて吹いていたんだ。」 ポウセ童子も一寸笛をやめて云いました。 「けれども旅に出るなんてそんな事はお許しがないはずだ。雲がいつはれるかもわからないんだから。」 彗星が云いました。 「心配するなよ。王様がこの前俺にそう云ったぜ。いつか曇った晩あの双子を少し旅させてやって呉れってな。行こう。行こう。俺なんか面白いぞ。俺のあだ名は空の鯨と云うんだ。知ってるか。俺は鰯のようなヒョロヒョロの星やめだかのような黒い隕石はみんなパクパク呑んでしまうんだ。それから一番痛快なのはまっすぐに行ってそのまままっすぐに戻る位ひどくカーブを切って廻るときだ。まるで身体が壊れそうになってミシミシ云うんだ。光の骨までカチカチ云うぜ。」 ポウセ童子が云いました。 「チュンセさん。行きましょうか。王様がいいっておっしゃったそうですから。」 チュンセ童子が云いました。 「けれども王様がお許しになったなんて一体本当でしょうか。」 彗星が云いました。 「へん。偽なら俺の頭が裂けてしまうがいいさ。頭と胴と尾とばらばらになって海へ落ちて海鼠にでもなるだろうよ。偽なんか云うもんか。」 ポウセ童子が云いました。 「そんなら王様に誓えるかい。」 彗星はわけもなく云いました。 「うん、誓うとも。そら、王様ご照覧。ええ今日、王様のご命令で双子の青星は旅に出ます。ね。いいだろう。」 二人は一緒に云いました。 「うん。いい。そんなら行こう。」 そこで彗星がいやに真面目くさって云いました。 「それじゃ早く俺のしっぽにつかまれ。しっかりとつかまるんだ。さ。いいか。」 二人は彗星のしっぽにしっかりつかまりました。彗星は青白い光を一つフウとはいて云いました。 「さあ、発つぞ。ギイギイギイフウ。ギイギイフウ。」 実に彗星は空のくじらです。弱い星はあちこち逃げまわりました。もう大分来たのです。二人のお宮もはるかに遠く遠くなってしまい今は小さな青白い点にしか見えません。 チュンセ童子が申しました。 「もう余程来たな。天の川の落ち口はまだだろうか。」 すると彗星の態度がガラリと変ってしまいました。 「へん。天の川の落ち口よりお前らの落ち口を見ろ。それ一ぃ二の三。」 彗星は尾を強く二三遍動かしおまけにうしろをふり向いて青白い霧を烈しくかけて二人を吹き落してしまいました。 二人は青ぐろい虚空をまっしぐらに落ちました。 彗星は、 「あっはっは、あっはっは。さっきの誓いも何もかもみんな取り消しだ。ギイギイギイ、フウ。ギイギイフウ。」と云いながら向うへ走って行ってしまいました。二人は落ちながらしっかりお互の肱をつかみました。この双子のお星様はどこ迄でも一緒に落ちようとしたのです。 二人のからだが空気の中にはいってからは雷のように鳴り赤い火花がパチパチあがり見ていてさえめまいがする位でした。そして二人はまっ黒な雲の中を通り暗い波の咆えていた海の中に矢のように落ち込みました。 二人はずんずん沈みました。けれども不思議なことには水の中でも自由に息ができたのです。 海の底はやわらかな泥で大きな黒いものが寝ていたりもやもやの藻がゆれたりしました。 チュンセ童子が申しました。 「ポウセさん。ここは海の底でしょうね。もう僕たちは空に昇れません。これからどんな目に遭うでしょう。」 ポウセ童子が云いました。 「僕らは彗星に欺されたのです。彗星は王さまへさえ偽をついたのです。本当に憎いやつではありませんか。」 するとすぐ足もとで星の形で赤い光の小さなひとでが申しました。 「お前さんたちはどこの海の人たちですか。お前さんたちは青いひとでのしるしをつけていますね。」 ポウセ童子が云いました。 「私らはひとでではありません。星ですよ。」 するとひとでが怒って云いました。 「何だと。星だって。ひとではもとはみんな星さ。お前たちはそれじゃ今やっとここへ来たんだろう。何だ。それじゃ新米のひとでだ。ほやほやの悪党だ。悪いことをしてここへ来ながら星だなんて鼻にかけるのは海の底でははやらないさ。おいらだって空に居た時は第一等の軍人だぜ。」 ポウセ童子が悲しそうに上を見ました。 もう雨がやんで雲がすっかりなくなり海の水もまるで硝子のように静まってそらがはっきり見えます。天の川もそらの井戸も鷲の星や琴弾きの星やみんなはっきり見えます。小さく小さく二人のお宮も見えます。 「チュンセさん。すっかり空が見えます。私らのお宮も見えます。それだのに私らはとうとうひとでになってしまいました。」 「ポウセさん。もう仕方ありません。ここから空のみなさんにお別れしましょう。またおすがたは見えませんが王様におわびをしましょう。」 「王様さよなら。私共は今日からひとでになるのでございます。」 「王様さよなら。ばかな私共は彗星に欺されました。今日からはくらい海の底の泥を私共は這いまわります。」 「さよなら王様。又天上の皆さま。おさかえを祈ります。」 「さよならみな様。又すべての上の尊い王さま、いつまでもそうしておいで下さい。」 赤いひとでが沢山集って来て二人を囲んでがやがや云って居りました。 「こら着物をよこせ。」「こら。剣を出せ。」「税金を出せ。」「もっと小さくなれ。」「俺の靴をふけ。」 その時みんなの頭の上をまっ黒な大きな大きなものがゴーゴーゴーと哮えて通りかかりました。ひとではあわててみんなお辞儀をしました。黒いものは行き過ぎようとしてふと立ちどまってよく二人をすかして見て云いました。 「ははあ、新兵だな。まだお辞儀のしかたも習わないのだな。このくじら様を知らんのか。俺のあだなは海の彗星と云うんだ。知ってるか。俺は鰯のようなひょろひょろの魚やめだかの様なめくらの魚はみんなパクパク呑んでしまうんだ。それから一番痛快なのはまっすぐに行ってぐるっと円を描いてまっすぐにかえる位ゆっくりカーブを切るときだ。まるでからだの油がねとねとするぞ。さて、お前は天からの追放の書き付けを持って来たろうな。早く出せ。」 二人は顔を見合せました。チュンセ童子が 「僕らはそんなもの持たない。」と申しました。 すると鯨が怒って水を一つぐうっと口から吐きました。ひとではみんな顔色を変えてよろよろしましたが二人はこらえてしゃんと立っていました。 鯨が怖い顔をして云いました。 「書き付けを持たないのか。悪党め。ここに居るのはどんな悪いことを天上でして来たやつでも書き付けを持たなかったものはないぞ。貴様らは実にけしからん。さあ。呑んでしまうからそう思え。いいか。」鯨は口を大きくあけて身構えしました。ひとでや近所の魚は巻き添えを食っては大変だと泥の中にもぐり込んだり一もくさんに逃げたりしました。 その時向うから銀色の光がパッと射して小さな海蛇がやって来ます。くじらは非常に愕ろいたらしく急いで口を閉めました。 海蛇は不思議そうに二人の頭の上をじっと見て云いました。 「あなた方はどうしたのですか。悪いことをなさって天から落とされたお方ではないように思われますが。」 鯨が横から口を出しました。 「こいつらは追放の書き付けも持ってませんよ。」 海蛇が凄い目をして鯨をにらみつけて云いました。 「黙っておいで。生意気な。このお方がたをこいつらなんてお前がどうして云えるんだ。お前には善い事をしていた人の頭の上の後光が見えないのだ。悪い事をしたものなら頭の上に黒い影法師が口をあいているからすぐわかる。お星さま方。こちらへお出で下さい。王の所へご案内申しあげましょう。おい、ひとで。あかりをともせ。こら、くじら。あんまり暴れてはいかんぞ。」 くじらが頭をかいて平伏しました。 愕ろいた事には赤い光のひとでが幅のひろい二列にぞろっとならんで丁度街道のあかりのようです。 「さあ、参りましょう。」海蛇は白髪を振って恭々しく申しました。二人はそれに続いてひとでの間を通りました。まもなく蒼ぐろい水あかりの中に大きな白い城の門があってその扉がひとりでに開いて中から沢山の立派な海蛇が出て参りました。そして双子のお星さまだちは海蛇の王さまの前に導かれました。王様は白い長い髯の生えた老人でにこにこわらって云いました。 「あなた方はチュンセ童子にポウセ童子。よく存じて居ります。あなた方が前にあの空の蠍の悪い心を命がけでお直しになった話はここへも伝わって居ります。私はそれをこちらの小学校の読本にも入れさせました。さて今度はとんだ災難で定めしびっくりなさったでしょう。」 チュンセ童子が申しました。 「これはお語誠に恐れ入ります。私共はもう天上にも帰れませんしできます事ならこちらで何なりみなさまのお役に立ちたいと存じます。」 王が云いました。 「いやいや、そのご謙遜は恐れ入ります。早速竜巻に云いつけて天上にお送りいたしましょう。お帰りになりましたらあなたの王様に海蛇めが宜しく申し上げたと仰っしゃって下さい。」 ポウセ童子が悦んで申しました。 「それでは王様は私共の王様をご存じでいらっしゃいますか。」 王はあわてて椅子を下って申しました。 「いいえ、それどころではございません。王様はこの私の唯一人の王でございます。遠いむかしから私めの先生でございます。私はあのお方の愚かなしもべでございます。いや、まだおわかりになりますまい。けれどもやがておわかりでございましょう。それでは夜の明けないうちに竜巻にお伴致させます。これ、これ。支度はいいか。」 一疋のけらいの海蛇が 「はい、ご門の前にお待ちいたして居ります。」と答えました。 二人は丁寧に王にお辞儀をいたしました。 「それでは王様、ごきげんよろしゅう。いずれ改めて空からお礼を申しあげます。このお宮のいつまでも栄えますよう。」 王は立って云いました。 「あなた方もどうかますます立派にお光り下さいますよう。それではごきげんよろしゅう。」 けらいたちが一度に恭々しくお辞儀をしました。 童子たちは門の外に出ました。 竜巻が銀のとぐろを巻いてねています。 一人の海蛇が二人をその頭に載せました。 二人はその角に取りつきました。 その時赤い光のひとでが沢山出て来て叫びました。 「さよなら、どうか空の王様によろしく。私どももいつか許されますようおねがいいたします。」 二人は一緒に云いました。 「きっとそう申しあげます。やがて空でまたお目にかかりましょう。」 竜巻がそろりそろりと立ちあがりました。 「さよなら、さよなら。」 竜巻はもう頭をまっくろな海の上に出しました。と思うと急にバリバリバリッと烈しい音がして竜巻は水と一所に矢のように高く高くはせのぼりました。 まだ夜があけるのに余程間があります。天の川がずんずん近くなります。二人のお宮がもうはっきり見えます。 「一寸あれをご覧なさい。」と闇の中で竜巻が申しました。 見るとあの大きな青白い光りのほうきぼしはばらばらにわかれてしまって頭も尾も胴も別々にきちがいのような凄い声をあげガリガリ光ってまっ黒な海の中に落ちて行きます。 「あいつはなまこになりますよ。」と竜巻がしずかに云いました。 もう空の星めぐりの歌が聞えます。 そして童子たちはお宮につきました。 竜巻は二人をおろして 「さよなら、ごきげんよろしゅう」と云いながら風のように海に帰って行きました。 双子のお星さまはめいめいのお宮に昇りました。そしてきちんと座って見えない空の王様に申しました。 「私どもの不注意からしばらく役目を欠かしましてお申し訳けございません。それにもかかわらず今晩はおめぐみによりまして不思議に助かりました。海の王様が沢山の尊敬をお伝えして呉れと申されました。それから海の底のひとでがお慈悲をねがいました。又私どもから申しあげますがなまこももしできますならお許しを願いとう存じます。」 そして二人は銀笛をとりあげました。 東の空が黄金色になり、もう夜明けに間もありません。」

12/05(Tue) 19:21:33 ???「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆った。 それからまた、びいどろという色硝子で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ち魄れた私に蘇えってくる故だろうか、まったくあの味には幽かな爽やかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには贅沢ということが必要であった。二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚びて来るもの。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている。――実際あそこの人参葉の美しさなどは素晴しかった。それから水に漬けてある豆だとか慈姑だとか。 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに賑かな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然しない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂なのだが、その廂が眼深に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。…… 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を※(「さんずい+闊」、第4水準2-79-45)歩した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、 ――つまりはこの重さなんだな。―― その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。 「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色の重い本までなおいっそうの堪えがたさのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒し終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。…… 「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。 不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。―― 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。」

12/05(Tue) 19:24:53 ???「 よく晴れて前の谷川もいつもとまるでちがって楽しくごろごろ鳴った。盆の十六日なので鉱山も休んで給料は呉れ畑の仕事も一段落ついて今日こそ一日そこらの木やとうもろこしを吹く風も家のなかの煙に射す青い光の棒もみんな二人のものだった。 おみちは朝から畑にあるもので食べられるものを集めていろいろに取り合せてみた。嘉吉は朝いつもの時刻に眼をさましてから寝そべったまま煙草を二、三服ふかしてまたすうすう眠ってしまった。 この一年に二日しかない恐らくは太陽からも許されそうな休みの日を外では鳥が針のように啼き日光がしんしんと降った。嘉吉がもうひる近いからと起されたのはもう十一時近くであった。 おみちは餅の三いろ、あんのと枝豆をすってくるんだのと汁のとを拵えてしまって膳の支度もして待っていた。嘉吉は楊子をくわいて峠へのみちをよこぎって川におりて行った。それは白と鼠いろの縞のある大理石で上流に家のないそのきれいな流れがざあざあ云ったりごぼごぼ湧いたりした。嘉吉はすぐ川下に見える鉱山の方を見た。鉱山も今日はひっそりして鉄索もうごいていず青ぞらにうすくけむっていた。嘉吉はせいせいしてそれでもまだどこかに溶けない熱いかたまりがあるように思いながら小屋へ帰って来た。嘉吉は鉱山の坑木の係りではもう頭株だった。それに前は小林区の現場監督もしていたので木のことではいちばん明るかった。そして冬撰鉱へ来ていたこの村の娘のおみちと出来てからとうとうその一本調子で親たちを納得させておみちを貰ってしまった。親たちは鉱山から少し離れてはいたけれどもじぶんの栗の畑もわずかの山林もくっついているいまのところに小屋をたててやった。そしておみちはそのわずかの畑に玉蜀黍や枝豆やささげも植えたけれども大抵は嘉吉を出してやってから実家へ手伝いに行った。そうしてまだ子供がなく三年経った。 嘉吉は小屋へ入った。 (お前さま今夜ほうのきさ仏さん拝みさ行ぐべ。)おみちが膳の上に豆の餅の皿を置きながら云った。(うん、うな行っただがら今年ぁいいだなぃがべが。)嘉吉が云った。 (そだら踊りさでも出はるますか。)俄かにぱっと顔をほてらせながらおみちは云った。(ふん見さ行ぐべさ。)嘉吉はすこしわらって云った。膳ができた。いくつもの峠を越えて海藻の〔数文字空白〕を着せた馬に運ばれて来たてんぐさも四角に切られて朧ろにひかった。嘉吉は子供のように箸をとりはじめた。 ふと表の河岸でカーンカーンと岩を叩く音がした。二人はぎょっとして聞き耳をたてた。 音はなくなった。(今頃探鉱など来るはずあなぃな。)嘉吉は豆の餅を口に入れた。音がこちこちまた起った。 (この餅拵えるのは仙台領ばかりだもな。)嘉吉はもうそっちを考えるのをやめて話しかけた。(はあ。)おみちはけれども気の無さそうに返事してまだおもての音を気にしていた。 (今日はちょっとお訪ねいたしますが。)門口で若い水々しい声が云った。(はあい。)嘉吉は用があったからこっちへ廻れといった風で口をもぐもぐしながら云った。けれどもその眼はじっとおみちを見ていた。 (あっ、こっちですか。今日は。ご飯中をどうも失敬しました。ちょっとお尋ねしますが、この上流に水車がありましょうか。)若いかばんを持って鉄槌をさげた学生だった。(さあ、お前さんどこから来なすった。)嘉吉は少しむかっぱらをたてたように云った。 (仙台の大学のもんですがね。地図にはこの家がなく水車があるんです。)(ははあ。)嘉吉は馬鹿にしたように云った。青年はすっかり照れてしまった。 (まあ地図をお見せなさい。お掛けなさい。)嘉吉は自分も前小林区に居たので地図は明るかった。学生は地図を渡しながら云われた通りしきいに腰掛けてしまった。おみちはすぐ台所の方へ立って行って手早く餅や海藻とささげを煮た膳をこしらえて来て、 (おあが※[#小書き平仮名ん、134-7]な※[#小書き平仮名ん、134-7]え)と云った。 (こいつあ水車じゃありませんや。前じきそこにあったんですが掛手金山の精錬所でさ。)(ああ、金鉱を搗くあいつですね。)(ええ、そう、そう、水車って云えば水車でさあ。ただ粟や稗を搗くんでない金を搗くだけで。)(そしてお家はまだ建たなかったんですね、いやお食事のところをお邪魔しました。ありがとうございました。) 学生は立とうとした。嘉吉はおみちの前でもう少してきぱき話をつづけたかったし、学生がすこしもこっちを悪く受けないのが気に入ってあわてて云った。(まあ、ひとつおつき合いなさい。ここらは今日盆の十六日でこうして遊んでいるんです。かかあもせっ角拵えたのお客さんに食べていただかなぃと恥かきますから。)(おあがんな※[#小書き平仮名ん、134-16]え。)おみちも低く云った。 学生はしばらく立っていたが決心したように腰をおろした。(そいじゃ頂きますよ。)(はっは、なあに、こごらのご馳走てばこったなもんでは。そうするどあなだは大学では何のほうで。)(地質です。もうからない仕事で。)餅を噛み切って呑み下してまた云った。(化石をさがしに来たんです。)化石も嘉吉は知っていた。(そこの岩にありしたか。)(ええ海百合です。外でもとりました。この岩はまだ上流にも二、三ヶ所出ていましょうね。)(はあはあ、出てます出てます。)学生は何でももう早く餅をげろ呑みにして早く生きたいようにも見えまたやっぱり疲れてもいればこういう款待に温さを感じてまだ止まっていたいようにも見えた。 (今日はそうせばとどこまで。)(ええ、峠まで行って引っ返して来て県道を大船渡へ出ようと思います。) (今晩のお泊りは。)(姥石まで行けましょうか。)(はあ、ゆっくりでごあ※[#小書き平仮名ん、135-11]す。)(いや、どうも失礼しました。ほんとうにいろいろご馳走になって、これはほんの少しですが。)学生は鞄から敷島を一つとキャラメルの小さな箱を出して置いた。(なあにす、そたなごとお前さん。)おみちは顔を赤くしてそれを押し戻した。 (もうほんの。)学生はさっさと出て行った。(なあんだ。あと姥石まで煙草売るどこなぃも。ぼかげで置いで来。)おみちは急いで草履をつっかけて出たけれども間もなく戻って来た。(脚早くて。とっても。)(若いがら律儀だもな。)嘉吉はまたゆっくりくつろいでうすぐろいてんを砕いて醤油につけて食った。 おみちは娘のような顔いろでまだぼんやりしたように座っていた。それは嘉吉がおみちを知ってからわずかに二度だけ見た表情であった。 (おらにもああいう若ぃづぎあったんだがな、ああいう面白い目見る暇なぃがったもな。)嘉吉が云った。 (あん。)おみちはまだぼんやりして何か考えていた。 嘉吉はかっとなった。 (じゃぃ、はきはきど返事せじゃ。何でぁ、あたな人形こさ奴さぁすぐにほれやがて。) (何云うべこの人ぁ。)おみちはさぁっと青じろくなってまた赤くなった。 (ええ糞そのつら付。見だぐなぃ。どこさでもけづがれ。びっき。)嘉吉はまるで落ちはじめたなだれのように膳を向うへけ飛ばした。おみちはとうとううつぶせになって声をあげて泣き出した。 (何だぃ。あったな雨降れば無ぐなるような奴凧こさ、食えの申し訳げなぃの機嫌取りやがて。)嘉吉はまたそう云ったけれどもすこしもそれに逆うでもなくただ辛そうにしくしく泣いているおみちのよごれた小倉の黒いえりや顫うせなかを見ていると二人とも何年ぶりかのただの子供になってこの一日をままごとのようにして遊んでいたのをめちゃめちゃにこわしてしまったようでからだが風と青い寒天でごちゃごちゃにされたような情ない気がした。 (おみち何でぁその年してでわらすみだぃに。起ぎろったら。起ぎで片付げろったら。) おみちは泣きじゃくりながら起きあがった。そしてじぶんはまだろくに食べもしなかった膳を片付けはじめた。 嘉吉はマッチをすってたばこを二つ三つのんだ。それから横からじっとおみちを見るとまだ泣きたいのを無理にこらえて口をびくびくしながらぼんやり眼を赤くしているのが酔った狸のようにでも見えた。嘉吉は矢もたてもたまらず俄かにおみちが可哀そうになってきた。 嘉吉はじっと考えた。おみちがさっきのあの顔いろはこっちの邪推かもしれない。 及びもしないあんな男をいきなり一言二言はなしてそんなことを考えるなんてあることでない。そうだとするとおれがあんな大学生とでも引け目なしにぱりぱり談した。そのおれの力を感じていたのかも知れない。それにおれには鉱夫どもにさえ馬鹿にはされない肩や腕の力がある。あんなひょろひょろした若造にくらべては何と云ってもおみちにはおれのほうが勝ち目がある。 (おみち、ちょっとこさ来。)嘉吉が云った。 おみちはだまって来て首を垂れて座った。 (うなまるで冗談づごと判らなぃで面白ぐなぃもな。盆の十六日ぁ遊ばなぃばつまらなぃ。おれ云ったなみんなうそさ。な。それでもああいうきれいな男うなだて好ぎだべ。)(好かなぃ。)おみちが甘えるように云った。 (好ぎたって云ったらおれごしゃぐど思うが。そのこらぃなごと云ってごしゃぐような水臭ぃおらだなぃな。誰だってきれいなものすぎさな。おれだって伊手ででもいいあねこ見ればその話だてするさ。あのあんこだて好ぎだべ。好ぎだて云え。こう云うごとほんと云うごそ実ぁあるづもんだ。な。好ぎだべ。)おみちは子供のようにうなずいた。嘉吉はまだくしゃくしゃ泣いておどけたような顔をしたおみちを抱いてこっそり耳へささやいた。(そだがらさ、あのあんこ肴にして今日ぁ遊ぶべじゃい。いいが。おれあのあんこうなさ取り持づ。大丈夫だでばよ。おれこれがら出掛げて峠さ行ぐまでに行ぎあって今夜の踊り見るべしてすすめるがらよ、なあにどごまで行がなぃやなぃようだなぃがけな。そして踊り済まってがら家さ連れで来ておれ実家さ行って泊って来るがらうなこっちで泣いて頼んでみなよ。おれの妹だって云えばいいがらよ。そしてさ出来ればよ、うなも町さ出はてもうんといい女子だづごともわがら。) おみちの胸はこの悪魔のささやきにどかどか鳴った。それからいきなり嘉吉をとび退いて、 (何云うべ、この人あ、人ばがにして。)そして爽かに笑った。嘉吉もごろりと寝そべって天井を見ながら何べんも笑った。そこでおみちははじめて晴れ晴れじぶんの拵えた寒天もたべた。餅もたべた。キャラメルの箱と敷島は秋らしい日光のなかにしずかに横わった。」

12/05(Tue) 19:27:45 ???「 * 同じ年の十月頃、僕は本郷壱岐坂にあった、独逸語を教える私立学校にはいった。これはお父様が僕に鉱山学をさせようと思っていたからである。 向島からは遠くて通われないというので、その頃神田小川町に住まっておられた、お父様の先輩の東先生という方の内に置いて貰って、そこから通った。 東先生は洋行がえりで、摂生のやかましい人で、盛に肉食をせられる外には、別に贅沢はせられない。只酒を随分飲まれた。それも役所から帰って、晩の十時か十一時まで飜訳なんぞをせられて、その跡で飲まれる。奥さんは女丈夫である。今から思えば、当時の大官であの位閨門のおさまっていた家は少かろう。お父様は好い内に僕を置いて下すったのである。 僕は東先生の内にいる間、性慾上の刺戟を受けたことは少しもない。強いて記憶の糸を手繰って見れば、あるときこういう事があった。僕の机を置いているのは、応接所と台所との間であった。日が暮れて、まだ下女がランプを点けて来てくれない。僕はふいと立って台所に出た。そこでは書生と下女とが話をしていた。書生はこういうことを下女に説明している。女の器械は何時でも用に立つ。心持に関係せずに用に立つ。男の器械は用立つ時と用立たない時とある。好だと思えば跳躍する。嫌だと思えば萎靡して振わないというのである。下女は耳を真赤にして聴いていた。僕は不愉快を感じて、自分の部屋に帰った。 学校の課業はむつかしいとも思わなかった。お父様に英語を習っていたので、Adler とかいう人の字書を使っていた。独英と英独との二冊になっている。退屈した時には、membre という語を引いて Zeugungsglied という語を出したり、pudenda という語を引いて Scham という語を出したりして、ひとりで可笑しがっていたこともある。しかしそれも性欲に支配せられて、そんな語を面白がったのではない。人の口に上せない隠微の事として面白がったのである。それだから同時に fart という語を引いて Furz という語を出して見て記憶していた。あるとき独逸人の教師が化学の初歩を教えていて、硫化水素をこしらえて見せた。そしてこの瓦斯を含んでいるものを知っているかと問うた。一人の生徒が faule Eier と答えた。いかにも腐った卵には同じ臭がある。まだ何かあるかと問うた。僕が起立して声高く叫んだ。 『Furz !』 『Was? Bitte, noch einmal !』 『Furz !』 教師はやっと分かったので顔を真赤にして、そんな詞を使うものではないと、懇切に教えてくれた。 学校には寄宿舎がある。授業が済んでから、寄って見た。ここで始て男色ということを聞いた。僕なんぞと同級で、毎日馬に乗って通って来る蔭小路という少年が、彼等寄宿生達の及ばぬ恋の対象物である。蔭小路は余り課業は好く出来ない。薄赤い頬っぺたがふっくりと膨らんでいて、可哀らしい少年であった。その少年という詞が、男色の受身という意味に用いられているのも、僕の為めには新智識であった。僕に帰り掛に寄って行けと云った男も、僕を少年視していたのである。二三度寄るまでは、馳走をしてくれて、親切らしい話をしていた。その頃書生の金平糖といった弾豆、書生の羊羹といった焼芋などを食わせられた。但しその親切は初から少し粘があるように感じて、嫌であったが、年長者に礼を欠いではならないと思うので、忍んで交際していたのである。そのうちに手を握る。頬摩をする。うるさくてたまらない。僕には Urning たる素質はない。もう帰り掛に寄るのが嫌になったが、それまでの交際の惰力で、つい寄らねばならないようにせられる。ある日寄って見ると床が取ってあった。その男がいつもよりも一層うるさい挙動をする。血が頭に上って顔が赤くなっている。そしてとうとう僕にこう云った。 「君、一寸だからこの中へ這入って一しょに寝給え」 「僕は嫌だ」 「そんな事を言うものじゃない。さあ」 僕の手を取る。彼が熱して来れば来るほど、僕の厭悪と恐怖とは高まって来る。 「嫌だ。僕は帰る」 こんな押問答をしているうちに、隣の部屋から声を掛ける男がある。 「だめか」 「うむ」 「そんなら応援して遣る」 隣室から廊下に飛び出す。僕のいた部屋の破障子をがらりと開けて跳り込む。この男は粗暴な奴で、僕は初から交際しなかったのである。この男は少くも見かけの通の奴で、僕を釣った男は偽善者であった。 「長者の言うことを聴かなけりゃあ、布団蒸にして懲して遣れ」 手は詞と共に動いた。僕は布団を頭から被せられた。一しょう懸命になって、跳ね返そうとする。上から押える。どたばたするので、書生が二三人覗きに来た。「よせよせ」などという声がする。上から押える手が弛む。僕はようよう跳ね起きて逃げ出した。その時書物の包とインク壺とをさらって来たのは、我ながら敏捷であったと思った。僕はそれからは寄宿舎へは往かなかった。 その頃僕は土曜日ごとに東先生の内から、向島のお父様の処へ泊りに行って、日曜日の夕方に帰るのであった。お父様は或る省の判任官になっておられた。僕はお父様に寄宿舎の事を話した。定めてお父様はびっくりなさるだろうと思うと、少しもびっくりなさらない。 「うむ。そんな奴がおる。これからは気を附けんと行かん」 こう云って平気でおられる。そこで僕は、これも嘗めなければならない辛酸の一つであったということを悟った。 * 十三になった。 去年お母様がお国からお出になった。 今年の初に、今まで学んでいた独逸語を廃めて、東京英語学校にはいった。これは文部省の学制が代ったのと、僕が哲学を遣りたいというので、お父様にねだったとの為めである。東京へ出てから少しの間独逸語を遣ったのを無駄骨を折ったように思ったが、後になってから大分益に立った。 僕は寄宿舎ずまいになった。生徒は十六七位なのが極若いので、多くは二十代である。服装は殆ど皆小倉の袴に紺足袋である。袖は肩の辺までたくし上げていないと、惰弱だといわれる。 寄宿舎には貸本屋の出入が許してある。僕は貸本屋の常得意であった。馬琴を読む。京伝を読む。人が春水を借りて読んでいるので、又借をして読むこともある。自分が梅暦の丹治郎のようであって、お蝶のような娘に慕われたら、愉快だろうというような心持が、始てこの頃萌した。それと同時に、同じ小倉袴紺足袋の仲間にも、色の白い目鼻立の好い生徒があるので、自分の醜男子なることを知って、所詮女には好かれないだろうと思った。この頃から後は、この考が永遠に僕の意識の底に潜伏していて、僕に十分の得意ということを感ぜさせない。そこへ年齢の不足ということが加勢して、何事をするにも、友達に暴力で圧せられるので、僕は陽に屈服して陰に反抗するという態度になった。兵家 Clausewitz は受動的抗抵を弱国の応に取るべき手段だと云っている。僕は先天的失恋者で、そして境遇上の弱者であった。 性欲的に観察して見ると、その頃の生徒仲間には軟派と硬派とがあった。軟派は例の可笑しな画を看る連中である。その頃の貸本屋は本を竪に高く積み上げて、笈のようにして背負って歩いた。その荷の土台になっている処が箱であって抽斗が附いている。この抽斗が例の可笑しな画を入れて置く処に極まっていた。中には貸本屋に借る外に、蔵書としてそういう絵の本を持っている人もあった。硬派は可笑しな画なんぞは見ない。平田三五郎という少年の事を書いた写本があって、それを引張り合って読むのである。鹿児島の塾なんぞでは、これが毎年元旦に第一に読む本になっているということである。三五郎という前髪と、その兄分の鉢鬢奴との間の恋の歴史であって、嫉妬がある。鞘当がある。末段には二人が相踵いで戦死することになっていたかと思う。これにも※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画があるが、左程見苦しい処はかいてないのである。 軟派は数に於いては優勢であった。何故というに、硬派は九州人を中心としている。その頃の予備門には鹿児島の人は少いので、九州人というのは佐賀と熊本との人であった。これに山口の人の一部が加わる。その外は中国一円から東北まで、悉く軟派である。 その癖硬派たるが書生の本色で、軟派たるは多少影護い処があるように見えていた。紺足袋小倉袴は硬派の服装であるのに、軟派もその真似をしている。只軟派は同じ服装をしていても、袖をまくることが少い。肩を怒らすることが少い。ステッキを持ってもステッキが細い。休日に外出する時なんぞは、そっと絹物を着て白足袋を穿いたり何かする。 そしてその白足袋の足はどこへ向くか。芝、浅草の楊弓店、根津、吉原、品川などの悪所である。不断紺足袋で外出しても、軟派は好く町湯に行ったものだ。湯屋には硬派だって行くことがないではないが、行っても二階へは登らない。軟派は二階を当にして行く。二階には必ず女がいた。その頃の書生には、こういう湯屋の女と夫婦約束をした人もあった。下宿屋の娘なんぞよりは、無論一層下った貨物なのである。 僕は硬派の犠牲であった。何故というのに、その頃の寄宿舎の中では、僕と埴生庄之助という生徒とが一番年が若かった。埴生は江戸の目医者の子である。色が白い。目がぱっちりしていて、唇は朱を点じたようである。体はしなやかである。僕は色が黒くて、体が武骨で、その上田舎育である。それであるのに、意外にも硬派は埴生を附け廻さずに、僕を附け廻す。僕の想像では、埴生は生れながらの軟派であるので免れるのだと思っていたのである。 学校に這入ったのは一月である。寄宿舎では二階の部屋を割り当てられた。同室は鰐口弦という男である。この男は晩学の方であって、級中で最年長者の一人であった。白菊石の顔が長くて、前にしゃくれた腮が尖っている。痩せていて背が高い。若しこの男が硬派であったら、僕は到底免れないのであったかと思う。 幸に鰐口は硬派ではなかった。どちらかと云えば軟派で、女色の事は何でも心得ているらしい。さればとて普通の軟派でもない。軟派の連中は女に好かれようとする。鰐口は固より好かれようとしたとて好かれもすまいが、女を土苴の如くに視ている。女は彼の為に、只性欲に満足を与える器械に過ぎない。彼は機会のある毎にその欲を遂げる。そして彼の飽くまで冷静なる眼光は、蛇の蛙を覗うように女を覗っていて、巧に乗ずべき機会に乗ずるのである。だから彼の醜を以てして、決して女に不自由をしない。その言うところを聞けば、女は金で自由になる物だ。女に好かれるには及ばないと云っている。 鰐口は女を馬鹿にしているばかりはでない。あらゆる物を馬鹿にしている。彼の目中には神聖なるものが絶待的に無い。折々僕のお父様が寄宿舎に尋ねて来られる。お父様が、倅は子供同様であるから頼むと挨拶をなさると、鰐口は只はあはあと云って取り合わない。そして黙ってお父様の僕に訓戒をして下さるのを聞いていて、跡で声いろを遣う。 「精出して勉強しんされえ。鰐口君でもどなたでも、長者の云いんさることは、聴かにゃあ行けんぜや。若し腑に落ちんことがあるなら、どういうわけでそう為にゃならんのか、分りませんちゅうて、教えて貰いんされえ。わしはこれで帰る。土曜には待っとるから、来んされえ。あはははは」 それからはお父様の事を「来んされえ」と云う。今日あたりは又来んされえの来る頃だ。又最中にありつけるだろうなんぞと云う。人の親を思う情だからって何だからって、いたわってくれるということはない。「あの来んされえが君のおっかさんと孳尾んで君を拵えたのだ。あはははは」などと云う。お国の木戸にいたお爺さんと択ぶことなしである。 鰐口は講堂での出来は中くらいである。独逸人の教師は、答の出来ない生徒を塗板の前へ直立させて置く例になっていた。或るとき鰐口が答が出来ないので、教師がそこに立っていろと云った。鰐口は塗板に背中を持たせて空を嘯いた。塗板はがたりと鳴った。教師は火のようになって怒って、とうとう幹事に言って鰐口を禁足にした。しかしそれからは教師も鰐口を憚っていた。 教師が憚るくらいであるから、級中鰐口を憚らないものはない。鰐口は僕に保護を加えはしないが、鰐口のいる処へ来て、僕に不都合な事をするものは無い。鰐口は外出するとき、僕にこう云って出て行く。 「おれがおらんと、又穴を覗う馬鹿もの共が来るから、用心しておれ」 僕は用心している。寄宿舎は長屋造であるから出口は両方にある。敵が右から来れば左へ逃げる。左から来れば右へ逃げる。それでも心配なので、あるとき向島の内から、短刀を一本そっと持って来て、懐に隠していた。 二月頃に久しく天気が続いた。毎日学課が済むと、埴生と運動場へ出て遊ぶ。外の生徒は二人が盛砂の中で角力を取るのを見て、まるで狗児のようだと云って冷かしていた。やあ、黒と白が喧嘩をしている、白、負けるななどと声を掛けて通るものもあった。埴生と僕とはこんな風にして遊んでも、別に話はしない。僕は貸本をむやみに読んで、子供らしい空想の世界に住している。埴生は教場の外ではじっとしていない性なので、本なぞは読まない。一しょに遊ぶと云えば、角力を取る位のものであった。 或る寒さの強い日の事である。僕は埴生と運動場へ行って、今日は寒いから駆競にしようというので、駈競をして遊んで帰って見ると、鰐口の処へ、同級の生徒が二三人寄って相談をしている。間食の相談である。大抵間食は弾豆か焼芋で、生徒は醵金をして、小使に二銭の使賃を遣って、買って来させるのである。今日はいつもと違って、大いに奢るというので、盲汁ということをするのだそうだ。てんでに出て何か買って来て、それを一しょに鍋に叩き込んで食うのである。一人の男が僕の方を見て、金井はどうしようと云った。鰐口は僕を横目に見て、こう云った。 「芋を買う時とは違う。小僧なんぞは仲間に這入らなくても好い」 僕は傍を向いて聞かない振をしていた。誰を仲間に入れるとか入れないとか云って、暫く相談していたが、程なく皆出て行った。 鰐口の性質は平生知っている。彼は権威に屈服しない。人と苟も合うという事がない。そこまでは好い。しかし彼が何物をも神聖と認めない為めに、傍のものが苦痛を感ずることがある。その頃僕は彼の性質を刻薄だと思っていた。それには、彼が漢学の素養があって、いつも机の上に韓非子を置いていたのも、与って力があったのだろう。今思えば刻薄という評は黒星に中っていない。彼は cynic なのである。僕は後に Theodor Vischer の書いた Cynismus を読んでいる間、始終鰐口の事を思って読んでいた。Cynic という語は希臘の kyon 犬という語から出ている。犬学などという訳語があるからは、犬的と云っても好いかも知れない。犬が穢いものへ鼻を突込みたがる如く、犬的な人は何物をも穢くしなくては気が済まない。そこで神聖なるものは認められないのである。人は神聖なるものを多く有しているだけ、弱点が多い。苦痛が多い。犬的な人に逢っては叶わない。 鰐口は人に苦痛を覚えさせるのが常になっている。そこで人の苦痛を何とも思わない。刻薄な処はここから生じて来る。強者が弱者を見れば可笑しい。可笑しいと面白い。犬的な人は人の苦痛を面白がるようになる。 僕だって人が大勢集って煮食をするのを、ひとりぼんやりして見ているのは苦痛である。それを鰐口は知っていて、面白半分に仲間に入れないのである。 僕は皆が食う間外へ出ていようかと思った。しかし出れば逃げるようだ。自分の部屋であるのに、人に勝手な事をせられて逃げるのは残念だと思った。さればといって、口に唾の湧くのを呑み込んでいたら彼等に笑われるだろう。僕は外へ出て最中を十銭買って来た。その頃は十銭最中を買うと、大袋に一ぱいあった。それを机の下に抛り込んで置いて、ランプを附けて本を見ていた。 その中盲汁の仲間が段々帰って来る。炭に石油を打っ掛けて火をおこす。食堂へ鍋を取りに行く。醤油を盗みに行く。買って来た鰹節を掻く。汁が煮え立つ。てんでに買って来たものを出して、鍋に入れる。一品鍋に這入る毎に笑声が起る。もう煮えたという。まだ煮えないという。鍋の中では箸の白兵戦が始まる。酒はその頃唐物店に売っていた gin というのである。黒い瓶の肩の怒ったのに這入っている焼酎である。直段が安いそうであったから、定めて下等な酒であったろう。 皆が折々僕の方を見る。僕は澄まして、机の下から最中を一つずつ出して食っていた。 Gin が利いて来る。血が頭へ上る。話が下へ下って来る。盲汁の仲間には硬派もいれば軟派もいる。軟派の宮裏が硬派の逸見にこう云った。 「どうだい。逸見なんざあ、雪隠へ這入って下の方を覗いたら、僕なんぞが、裾の間から緋縮緬のちらつくのを見たときのような心持がするだろうなあ」 逸見が怒るかと思うと大違で、真面目に返事をする。 「そりゃあお情所から出たものじゃと思うて見ることもあるたい」 「あはははは。女なら話を極めるのに、手を握るのだが、少年はどうするのだい」 「やっぱり手じゃが、こぎゃんして」 と宮裏の手を掴まえて、手の平を指で押して、承諾するときはその指を握るので、嫌なときは握らないのだと説明する。 誰やら逸見に何か歌えと勧めた。逸見は歌い出した。 「雲のあわやから鬼が穴う突ん出して縄で縛るよな屁をたれた」 甚句を歌うものがある。詩を吟ずるものがある。覗機関の口上を真似る。声色を遣う。そのうちに、鍋も瓶も次第に虚になりそうになった。軟派の一人が、何か近い処で好い物を発見したというような事を言う。そんなら今から往こうというものがある。此間門限の五分前に出ようとして留められたが、まだ十五分あるから大丈夫出られる。出てさえしまえば、明日証人の証書を持って帰れば好い。証書は、印の押してある紙を貰って持っているから、出来るというような話になる。 盲汁仲間はがやがやわめきながら席を起った。鰐口も一しょに出てしまった。 僕は最中にも食い厭きて、本を見ていると、梯子を忍足で上って来るものがある。猟銃の音を聞き慣れた鳥は、猟人を近くは寄せない。僕はランプを吹き消して、窓を明けて屋根の上に出て、窓をそっと締めた。露か霜か知らぬが、瓦は薄じめりにしめっている。戸袋の蔭にしゃがんで、懐にしている短刀の※(「木+霸」、第3水準1-86-28)をしっかり握った。 寄宿舎の窓は皆雨戸が締まっていて、小使部屋だけ障子に明がさしている。足音は僕の部屋に這入った。あちこち歩く様子である。 「今までランプが付いておったが、どこへ往ったきゃんの」 逸見の声である。僕は息を屏めていた。暫くして足音は部屋を出て、梯子を降りて行った。 短刀は幸に用足たずに済んだ。」

12/05(Tue) 19:28:02 ???「* 十四になった。 日課は相変らず苦にもならない。暇さえあれば貸本を読む。次第に早く読めるようになるので、馬琴や京伝のものは殆ど読み尽した。それからよみ本というものの中で、外の作者のものを読んで見たが、どうも面白くない。人の借りている人情本を読む。何だか、男と女との関係が、美しい夢のように、心に浮ぶ。そして余り深い印象をも与えないで過ぎ去ってしまう。しかしその印象を受ける度毎に、その美しい夢のようなものは、容貌の立派な男女の享ける福で、自分なぞには企て及ばないというような気がする。それが僕には苦痛であった。 埴生とはやはり一しょに遊ぶ。暮春の頃であった。月曜日の午後埴生と散歩に出ると、埴生が好い処へ連れて行って遣ろうと云う。何処だと聞けば、近処の小料理屋なのである。僕はそれまで蕎麦屋や牛肉屋には行ったことがあるが、お父様に連れられて、飯を食いに王子の扇屋に這入った外、御料理という看板の掛かっている家へ這入ったことがないのだから、非道く驚いた。 「そんな処へ君はひとりで行けるか」 「ひとりじゃあない。君と行こうというのだ」 「そりゃあ分かっている。僕がひとりというのは、大きい人に連れられずに行けるかというのだ。一体君はもう行ったことがあるのか」 「うむ。ある。此間行って見たのだ」 埴生は頗る得意である。二人は暖簾を潜った。「いらっしゃい」と一人の女中が云って、僕等を見て、今一人の女中と目引き袖引き笑っている。僕は間が悪くて引き返したくなったが、埴生がずんずん這入るので、しかたなしに附いて這入った。 埴生は料理を誂える。酒を誂える。君は酒が飲めるかというと、飲まなくても誂えるものだという。女中は物を運んで来る度に、暫く笑いながら立って見ている。僕は堅くなって、口取か何かを食っていると、埴生がこんな話をし出した。 「昨日は実に愉快だったよ」 「何だ」 「おじの年賀に呼ばれて行ったのだ。そうすると、芸者やお酌が大勢来ていて、まだ外のお客が集まらないので、遊んでいた。そのうちのお酌が一人、僕に一しょに行って庭を見せてくれろと云うだろう。僕はそいつを連れて庭へ行った。池の縁を廻って築山の処へ行くと、黙って僕の手を握るのだ。それから手を引いて歩いた。愉快だったよ」 「そうか」 僕は一語を讃することを得ない。そして僕の頭には例の夢のような美しい想像が浮んだ。なる程埴生なら、綺麗なお酌と手を引いて歩いても、好く似合うだろうと思った。埴生は美少年であるばかりではない。着物なぞも相応にさっぱりしたものを着ているのであった。 こう思うと共に、僕はその事が、いかにも自分には縁遠いように感じた。そして不思議にも、人情本なんぞを読んで空想に耽ったときのように、それが苦痛を感じさせなかった。僕はこの事実に出くわして、却ってそれを当然の事のように思った。 埴生は間もなく勘定をして料理屋を出た。察するに、埴生は女の手を握った為めに祝宴を設けて、僕に馳走をしたのであったろう。 僕はその頃の事を思って見ると不思議だ。何故かというに、人情本を見た時や、埴生がお酌と手を引いて歩いた話をした時浮んだ美しい想像は、無論恋愛の萌芽であろうと思うのだが、それがどうも性欲その物と密接に関聯していなかったのだ。性欲と云っては、この場合には適切でないかも知れない。この恋愛の萌芽と Copulationstrieb とは、どうも別々になっていたようなのである。 人情本を見れば、接吻が、西洋のなんぞとまるで違った性質の接吻が叙してある。僕だって、恋愛と性欲とが関係していることを、悟性の上から解せないことはない。しかし恋愛が懐かしく思われる割合には、性欲の方面は発動しなかったのである。 或る記憶に残っている事柄が、直接にそれを証明するように思う。僕はこの頃悪い事を覚えた。これは甚だ書きにくい事だが、これを書かないようでは、こんな物を書く甲斐がないから書く。西洋の寄宿舎には、青年の生徒にこれをさせない用心に、両手を被布団の上に出して寝ろという規則があって、舎監が夜見廻るとき、その手に気を附けることになっている。どうしてそんな事を覚えたということは、はっきりとは分からない。あらゆる穢いことを好んで口にする鰐口が、いつもその話をしていたのは事実である。その外、少年の顔を見る度に、それをするかと云い、小娘の顔を見る度に、或る体の部分に毛が生えたかと云うことを決して忘れない人は沢山ある。それが教育というものを受けた事のない卑賤な男なら是非が無い。紳士らしい顔をしている男にそういう男が沢山ある。寄宿舎にいる年長者にもそういう男が多かった。それが僕のような少年を揶揄う常套語であったのだ。僕はそれを試みた。しかし人に聞いたように愉快でない。そして跡で非道く頭痛がする。強いてかの可笑しな画なんぞを想像して、反復して見た。今度は頭痛ばかりではなくて、動悸がする。僕はそれからはめったにそんな事をしたことはない。つまり僕は内から促されてしたのでなくて、入智慧でしたので、附焼刃でしたのだから、だめであったと見える。 或る日曜日に僕は向島の内へ帰った。帰って見ると、お父様がいつもと違って烟たい顔をして黙っておられる。お母様も心配らしい様子で、僕に優しい詞を掛けたいのを控えてお出なさるようだ。元気好く帰って行った僕は拍子抜がして、暫く二親の顔を見競べていた。 お父様が、烟草を呑んでいた烟管で、常よりひどく灰吹をはたいて、口を切られた。お父様は巻烟草は上らない。いつも雲井という烟草を上るに極まっていたのである。さてお話を聞いて見ると、僕の罪悪とも思わなかった罪悪が、お父様の耳に入ったのである。それはかの手に関係する事ではない。埴生との交際の事である。 同じ学校の上の級に沼波というのがあった。僕は顔も知らないが、先方では僕と埴生との狗児のように遊んでいるのを可笑がって見ていたものと見える。この沼波の保証人が向島にいて、お父様の碁の友達であった。そこでお父様はこういう事を聞かれたのである。 金井は寄宿舎じゅうで一番小さい。それに学課は好く出来るそうだ。その友達に埴生というのがいる。これも相応に出来る。しかし二人の性質はまるで違う。金井は落着いた少年で、これからぐんぐん伸びる人だと思うが、埴生は早熟した才子で、鋭敏過ぎていて、前途が覚束ない。二人はひどく仲を好くして、一しょに遊んでいるようだが、それは外に相手がないから、小さい同志で遊ぶのであろう。ところがこの頃になって、金井の為めには、埴生との交際が頗る危険になったようである。埴生は金井より二つ位年上であろう。それが江戸の町に育ったものだから、都会の悪影響を受けている。近頃ひとりで料理屋に行って、女中共におだてられるのを面白がっているのを見たものがある。酒も呑み始めたらしい。尤も甚しいのは、或る楊弓店の女に帯を買って遣ったということである。あれは堕落してしまうかも知れない。どうぞ金井が一しょに堕落しないように、引き分けて遣りたいものだということを、沼波が保証人に話したのである。 お父様はこの話をして、何か埴生と一しょに悪い事をしはしないか。したなら、それを打明けて言うが好い。打明けて言って、これから先しなければ、それで好い。とにかく埴生と交際することは、これからは止めねば行かぬと仰ゃるのである。お母様が側から沼波さんもお前が悪い事をしたと云ったのではないそうだ、お前は何もしたのではあるまい、これからその埴生という子と遊ばないようにすれば好いのだと仰ゃる。 僕は恐れ入った。そして正直に埴生に、料理屋へ連れて行かれた事を話した。しかしそれが埴生の祝宴であったということだけは、言いにくいので言わなかった。 埴生と絶交するのは、余程むつかしかろうと思ったが、実際殆ど自然に事が運んだ。埴生は間も無く落第する。退学する。僕はその形迹を失ってしまった。 僕が洋行して帰って妻を貰ってからであった。或日の留守に、埴生庄之助という名刺を置いて行った人があった。株式の売買をしているものだと言い置いて帰ったそうだ。 * 同じ歳の夏休に向島に帰っていた。 その頃好い友達が出来た。それは和泉橋の東京医学校の預科に這入っている尾藤裔一という同年位の少年であった。裔一のお父様はお邸の会計で、文案を受け持っている榛野なんぞと同じ待遇を受けている。家もお長屋の隣同志である。 僕のお父様はお邸に近い処に、小さい地面附の家を買って、少しばかりの畠にいろいろな物を作って楽んでおられる。田圃を隔てて引舟の通が見える。裔一がそこへ遊びに来るか、僕がお長屋へ往くか、大抵離れることはない。 裔一は平べったい顔の黄いろ味を帯びた、しんねりむっつりした少年で、漢学が好く出来る。菊池三渓を贔負にしている。僕は裔一に借りて、晴雪楼詩鈔を読む。本朝虞初新誌を読む。それから三渓のものが出るからというので、僕も浅草へ行って、花月新誌を買って来て読む。二人で詩を作って見る。漢文の小品を書いて見る。先ずそんな事をして遊ぶのである。 裔一は小さい道徳家である。埴生と話をするには、僕は遣り放しで、少しも自分を拘束するようなことは無かったのだが、裔一と何か話していて、少しでも野卑な詞、猥褻な詞などが出ようものなら、彼はむきになって怒るのである。彼の想像では、人は進士及第をして、先生のお嬢様か何かに思われて、それを正妻に迎えるまでは、色事などをしてはならないのである。それから天下に名の聞えた名士になれば、東坡なんぞのように、芸者にも大事にせられるだろう。その時は絹のハンケチに詩でも書いて遣るのである。 裔一の処へ行くうちに、裔一が父親に連れられて出て、いない事がある。そういう時に好く、長い髪を項まで分けた榛野に出くわす。榛野は、僕が外から裔一を呼ぶと、僕が這入らないうちに、内から障子を開けて出て、帰ってしまう。裔一の母親があとから送って出て、僕にあいそを言う。 裔一の母親は継母である。ある時裔一と一しょに晴雪楼詩鈔を読んでいると、真間の手古奈の事を詠じた詩があった。僕は、ふいと思い出して、「君のお母様は本当のでないそうだが、窘めはしないか」と問うた。「いいや、窘めはしない」と云ったが、彼は母親の事を話すのを嫌うようであった。 或日裔一の内へ往った。八月の晴れた日の午後二時頃でもあったろうか。お長屋には、どれにも竹垣を結い廻らした小庭が附いている。尾藤の内の庭には、縁日で買って来たような植木が四五本次第もなく植えてある。日が砂地にかっかっと照っている。御殿のお庭の植込の茂みでやかましい程鳴く蝉の声が聞える。障子をしめた尾藤の内はひっそりしている。僕は竹垣の間の小さい柴折戸を開けて、いつものように声を掛けた。 「裔一君」 返事をしない。 「裔一君はいませんか」 障子が開く。例の髪を項まで分けた榛野が出る。色の白い、撫肩の、背の高い男で、純然たる東京詞を遣うのである。 「裔一君は留守だ。ちっと僕の処へも遊びに来給え」 こう云って長屋隣の内へ帰って行く。鳴海絞の浴衣の背後には、背中一ぱいある、派手な模様がある。尾藤の奥さんが閾際にいざり出る。水浅葱の手がらを掛けた丸髷の鬢を両手でいじりながら、僕に声を掛ける。奥さんは東京へ出たばかりだそうだが、これも純然たる東京詞である。 「あら。金井さんですか。まあお上んなさいよ」 「はい。しかし裔一君がいませんのなら」 「お父さんが釣に行くというので、附いて行ってしまいましたの、裔一がいなくたって好いではございませんか。まあ、ここへお掛なさいよ」 「はい」 僕はしぶしぶ縁側に腰を掛けた。奥さんは不精らしく又少しいざり出て、片膝立てて、僕の側へ、体がひっ附くようにすわった。汗とお白いと髪の油との匂がする。僕は少し脇へ退いた。奥さんは何故だか笑った。 「好くあなたは裔一のような子と遊んでおやんなさるのね。あんなぶあいそうな子ってありゃしません」 奥さんは目も鼻も口も馬鹿に大きい人である。そして口が四角なように僕は感じた。 「僕は裔一君が大好です」 「わたくしはお嫌」 奥さんは頬っぺたをおっ附けるようにして、横から僕の顔を覗き込む。息が顔に掛かる。その息が妙に熱いような気がする。それと同時に、僕は急に奥さんが女であるというようなことを思って、何となく恐ろしくなった。多分僕は蒼くなったであろう。 「僕は又来ます」 「あら。好いじゃありませんか」 僕は慌てたように起って、三つ四つお辞儀をして駈け出した。御殿のお庭の植込の間から、お池の水が小さい堰塞を踰して流れ出る溝がある。その縁の、杉菜の生えている砂地に、植込の高い木が、少し西へいざった影を落している。僕はそこまで駈けて行って、仰向に砂の上に寝転んだ。すぐ上の処に、凌霄の燃えるような花が簇々と咲いている。蝉が盛んに鳴く。その外には何の音もしない。Pan の神はまだ目を醒まさない時刻である。僕はいろいろな想像をした。 それからは、僕は裔一と話をしても、裔一の母親の事は口に出さなかった。」

12/24 00:11 〜天災の法書〜「 」

12/24(Sun) 00:54:46 ???「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある、人と栖(すみか)と、又かくのごとし。 たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ、甍を争へる、高き、いやしき人の住ひは、世々を経て、尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋れば、昔しありし家は稀なり。或は去年(こぞ)焼けて今年つくれり。或は大家(おほいへ)ほろびて小家(こいへ)となる。住む人も是に同じ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似りける。 不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主と栖と、無常を争ふさま、いはゞあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。」

12/25(Mon) 18:51:03 ???「YouTubeで超上位学校への中学受験のリアル、みたいな動画を見る機会がありました。その人は開成に入れず海城へ、そして一浪の末に東大文に合格したそうですが本当に暴力による支配で勉強を強制的にやっていたそうです。メンタルブレイクを乗り越えて東大文に入ったのは本当に凄いと思いますが、これって最早子供の為では無いなと思いました。」

12/25(Mon) 18:52:12 ???「小学生の頃は模試で3桁順位だと木刀で殴られ蔵に閉じ込められ出してもらえないとかありましたね… 今考えると虐待以外の何物でもないんですが、当時はどこもそんなもんで、それに対応できない自分が悪いと考えてました。 子供なんで視野も狭いし社会的な「普通」はわからないですしね。 それで追い詰められて飛び降りしたり首吊り未遂もしましたが、今は割とのほほんと生きてます。 メンタルもボロボロに追い詰められて肉体的にも極限状態の中でよく勉強出来てたなぁと自分でも思います…懐かしい。 自分はたまたま友人や周囲に恵まれてすんなり立ち直れはしましたが、そういう経験をしたからこそ、我が子にはのびのびとやりたい事やって育って欲しいと思いますね。」

03/20 23:51 〜天災の法書〜「 」

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